2014年10月19日日曜日

10/19 礼拝献花とメッセージ


 「野の花を見よ」とのみ言葉が思い出されますが、
 本日の礼拝献花は教会庭の草花が捧げられました。

 本日も礼拝が行われ、礼拝後には具だくさんの味噌汁と
 おにぎりの愛餐が行われました。

 教会はどなたのおいでもお待ちしています。

 来週も、10/26(日)10:45~礼拝が行われます。
 どうぞお集まり下さい。

 本日の礼拝メッセージの要旨です。新約聖書42頁からです。

 

説教要旨】 マタイによる福音書2133-44節 
私たちは、時に道草や遠回りをしているなと、人生を思います。今日の聖書は「葡萄園のたとえ」です。ここからは元来、主の厳しさが語られました。主は当時のユダヤ人宗教指導者に厳しく迫ります。「かつて神は旧約の時代から預言者たちを送った。だが指導者たちは預言者に傾聴せず辱しめる。遂に神は独り子を送るが、指導者たちは彼を殺害した」というものです。

この話を聞いた聴き手たちは、最後には憤慨します。主が自分たちのことを語っているとは夢にも知りません。それだけ聴き手たちは、無礼な振舞を主にしているのです。聖書の話の労働者たちの無茶には、理解に苦められます。一体何を考えているのか、僕たちや一人息子を苛めれば、葡萄園が自分のものになるとでも思っているのでしょうか。余り賢くないですね。

それでも、愚かさでは葡萄園の主人の方が実は上手なのです。と言っても、その愚かさは違いますね。農夫たちは唯の愚か、主人は愚直。主人は完璧な葡萄園を創造し、管理を農夫に委ね、信じます。どこまでも農夫たちを信じ、共に喜ぼうとし、その働きを労おうとするのです。全ての人への神の愛が語られているのです。主は、聴き手の頑なさを砕こうとされるのです

 主は実際に神に一度は捨てられました。同時に神は主を「隅の親石」としました。神の行いに無駄は無いのです。そして農夫の行いに憤慨した聴き手たちは、数日後同様のことを主に行います。主はこの聴き手たち、農夫たちの為にも死なれたのです。その悪意が打ち砕かれるを願ったのです。さあ「人生には無駄がない」は真理です。何故か。主が共にあるためです。主が私たちの基礎故、時に迷っても良きに導かれます。一つ一つを恵みと思い、過ごしましょう。

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