2015年1月4日日曜日

1/4 礼拝献花と説教要旨





 新年の献花です。
・・・実は私たちの家の当番でしたが、正月のゆえに失念していました。

しかし、昨年末の献花がまさにお正月に相応しいものでしたので、
再登場して頂きました。

本日は、普段遠方にいる会員子弟が大勢集いました。

本日の礼拝説教です。
来週も礼拝は、1/11(日)10:45~行われます。




説教要旨】 マタイによる福音書21-12節 
「私たちは主から受けた、それを奉げたにすぎない」とは主題聖句です。聖書は三賢者の贈り物です。捧げる賢者たち、しかしそれ以上に多くを与えられたのが彼らです。学者たちは東方よりの博士でした。旅する彼らの指標としたのは旧約のミカ5章「ベツレヘムからイスラエルの統治者が現れる。真に小さなベツレヘム」でした。取るに足らないベツレヘムの王、がミカ書の語る王の姿です。

しかし人間の浅はかさが現れます。ミカ書では「真に小さなベツレヘム」とあるのに、お傍の律法学者たちはそう進言しない。ヘロデに旅の目的を進言する場面で、彼らは預言者の言葉として「決して一番小さい者ではない」と断言。受け手のヘロデは猜疑心の固まりでした。密かに心中に恐れを抱き、その結果博士たちの無帰還後、ベツレヘム近辺の幼子を殺すという暴挙に走るのです。

これは律法学者たちの過ちですが、博士たちも間違えます。博士たちはこの地域には不慣れでした。その博士たちが星の導きを見失うのです。導きはベツレヘム、しかし彼らの向かったのはエルサレム。両者の距離の差はおよそ20キロです。彼らは、ヘロデ王ならば新たな王の場を知ると考えました。それもヘロデ王の猜疑心を逆撫でし、ヘロデは世襲の地位固めに走ってしまうのです。

このような間違いをする博士たちです。だが導きの光は彼らを主に会わせます。贈り物進呈後、更に導きは博士たちをヘロデの暴虐から救うのです。「賢者」であるにも関わらず誤ります。しかし主は導くのです。その愛きょうも併せ、この博士たちへの教会の聖伝が生まれたのでしょう。大切なことは、博士たちのように,道を、み言葉を見失う。それが人生です。それでも勇気をもって歩みたい。多くを頂いている私たちなのです。絶えずみ言葉に養われましょう。
 

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