2015年1月18日日曜日

1/18 教会の献花と礼拝メッセージ





 本日も礼拝が行われました。
 冬の寒さ、厳しい折ですが、献花は春を匂わせる彩りのものです。

 冬来たりなば、春遠からじ、と思えます。

 礼拝後には、讃美歌 アメージング・グレイスの合唱、
 豚汁とワカメおにぎりの愛さんを頂きました。

 来週も礼拝は、 1/25(日)10:45から行われます。
 どなたもご自由にお越しください。

 本日のメッセージ要旨です。

 


説教要旨】 マルコによる福音書1章12-20節 
「全ては頂きもの」とは今年の主題聖句です。今日の聖書にもその使信が記載されています。冒頭に登場する「ガリラヤ」とは地域名です。今日の聖書で主はガリラヤに登場し、その漁師たちを弟子とするのです。実は、主が復活の朝、墓にいる青年は「ガリラヤに行け」と墓参りのご婦人がたに語るのです。ガリラヤは、この弟子たちが再び主と出会う場にもなるのです。

まず、主が漁師たちを弟子にしたという所です。これは、この世の順序とは逆でしょう。私たちが、選ぶ側なのです。だが主は違う。主が選ぶ側なのです。漁師たちは選ばれたのです。「人の漁師」の意味するところはこうです。主は当時の世相を皮肉るのです。海や湖は暗闇の世界。人々はその中でもがく。もがく人々を助ける者に為すと、主は漁師たちに言うのです。

実は当の漁師たちも暗闇の中でもがく者でした。主の時代のユダヤはローマの植民地でした。「ブラック企業」まさにその状況が当時の漁師たちでした。その漁師たちの実情は、他でもないガリラヤで育った主がご存じ。主はまず彼らを「捕え」ます。それが「時満ち、神の国接近」の意味です。苦しい労役の時は満ち、主が彼らに近づくのです。それ故に弟子となったのです。

私たちの話です。教会聖書,主との出会いはそれぞれの時に与えられました。私たちが教会、キリスト教を選んだと思えるときもあるかもしれません。しかし、それは実は間違いです。それぞれに必要な時に、教会や聖書、主との出会いの門が開かれていたということなのです。「時は満ちた」「私があなた方を選んだ」その意味で主から多くの恵みを頂く私たちです。私たちは、ガリラヤなる教会に帰ってきました。お帰りなさい。休んで下さい。そして旅立ちましょう。

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