最近、花を手前に十字架を後方に、のアングルが気に入っています。
花だけではなく、十字架と共にある花が、教会としての献花なのでしょう。
何か分かったような分かっていないような、私のコメントです。
本日も、徳山、柳井、防府ではそれぞれの地で主日礼拝が行われています。
台風の余波が、山陽諸教会には訪れています。
今週、来週ともに、礼拝は以下の日程で行われます。
どなたでもどうぞご自由にお集まり下さい。
7/19(日) 徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
7/16(木)には、
益田14:00~
六日市19:30~ です。
本日の説教要旨は、以下の通りです。
マルコ福音書の主の第一声は「神の国は近づいた」というものです。「国」とは「支配」です。つまり、神さまはあなたを導き、支える、ということです。しかし私たちは、時にこの世の現実や出来事に立ちすくまされます。そのために今日の話があります。この日主は、植物を用い神の国の力強さを語られます。ご一緒に聴きたいのです。
まず「種の成長」の話です。「土は独りでに」実を結ぶとあります。「独りでに」は無いと考えるでしょう。主の時代はほぼ放置農法だったようですが、「肥料」という言葉も別の主の言葉の中に出てきます。「成長させて下さる方」への信頼を、この箇所は私たちに呼びかけているのです。「置かれた場所で成長させて下さる」神さまです。
そして「からし種の成長」の話です。主は、人を通して神の国を広め、私たちの先輩を弟子とされました。私たちも、主の伝道の系譜に繋がるのです。主からの伝道の系譜の一員(一葉)として、私たちはかつて芽を出し若葉でありました。諸先輩方の信仰に励まされもしたでしょう。そして今皆さんは大木となっています。そして気付かぬ内に、誰かを陰で休ませているのです。どのような立場でも、それは確かです。
当時の種播きや育成は、私たちから見ればいい加減なものだったようです。それでも種は芽を出したという、その背景で主は話されます。私たちは、伝道の心を持つ、教会成長にとって一つの大切な在り方です。そして実は、日々の私たちの生活も種播き、すなわち伝道なのです。主に導かれている者として、私たちは生きています。その生き方が、身近な人に語りかけることは大きいでしょう。主の働きかけは、目では見えないものです。しかし育つのです。教会で休み、旅立ち、新たな日々を生きたい。