2024年2月12日月曜日

2/8.10.11 西宮と徳山、防府、こたつみかん

 

次週の礼拝から、四旬節に入ります。伝統的な「荒野の誘惑」が聖書箇所です。

徳山礼拝堂の説教題。会員の方が記されました。

防府の礼拝。変容主日の礼拝でした。

入院加療中の会員を覚えました。

「こたつみかん さいこう」

まさにそのとおり。

2/8 大阪での会議に先立ち、西宮教会を訪問しました。

教会の予定は以下の通りです。

2/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/20  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

2/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/27  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 家庭礼拝の予定です。

説教の要旨は以下の通りです。

■ マルコ 9: 2 9 (78)

 説教              「尊い姿ではなく」 

     「暗い、暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを付けましょう」カトリック教会のラジオ「心の灯」のテーマです。この日「主の変容」を覚える主日です。福音書は、編集者により独自に編集されたため、内容や組み立てには差がありますが、「主の変容」は直前からの流れも含め、共通です。主の自己理解が示された箇所を、今日は聞きたいと思います。

 

     ペトロは主の働きと人気を、当初から体感していました。もともと「格下」地域の出身だったペトロには、自然と「救い主」を待望する信仰が育ったと思われます。この場合の「救い主」とは、良い政治を敷く政治家です。その主が直前で、権力者との対立および死と復活を語ります。「晴天の霹靂」から6日後に、主は改めて「同伴者メシア」を示します。

 

     ペトロを含む3人は、登山します。そこにモーセとエリヤが現れます。「律法と預言者」という、旧約の膨大な範囲を象徴する人物です。恣意的な引用になりますが、「神の愛と同行(出エ37 苦しみを知る/列上1712 困難に近づく)」を示します。ペトロは「偉大な姿に留まる」ことを願いますが、「これに聞け」という言葉と共に、主が残されます。

 

     主は「偉大な姿」に留まらず、「苦しみや困難に同伴する二人」を示したのち、「山を下り」ます。この時のペトロには、主は受容されませんでした。しかし後年、挫折と復帰後のペトロはこの神秘的な経験が「暗い所で輝く灯(1ペト119)」としての契機と言います。置かれている状況の中で、託されている主からの輝きを用いていきたいと思います。





2024年2月6日火曜日

2/3.4 礼拝堂と総会

 

 2/4(日)防府チャペルの礼拝堂です。聖餐式が行われ、総会報告書が

 感謝のうちに配布されました。

 2/3(土)柳井チャペルの礼拝堂です。こちらも同様、聖餐式と総会が行われました。

 2/4(日)は徳山チャペルでも聖餐式と総会が行われました。

教会の予定は以下の通りです。

2/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/11 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/13  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

2/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/20  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

2/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

説教の要旨は以下の通りです。

マルコ1:2934 (62)

 説教                   「孤独に近づく」 

    主は「カファルナウム」の「ペトロの姑(30)」の熱病を癒されました。700年前から「暗闇/死の影の地(イザヤ8)」と呼ばれた「ガリラヤ地方」でのことでした。時は安息日、二度目の癒しです。「ガリラヤ」で「安息日」に「熱病」を治す。これは、当時の「常識」である「聖書」の記載を超えているものでした。記されている主の思いを聞きましょう。

 

    「安息日」についてです。まだ公然と非難されませんが、主は「安息日」二度目の癒しを行います。典拠はあいまいです(出エ35/申5)。主は、規定の曖昧さを示します。一方で「熱病」は「神罰」とされていました(レビ26)。人々(30)は、姑の「高熱(ルカ4:38)」を案じつつも、「宗教的禁忌」に近づいていくことを恐れ、手をこまねいていたのです。

 

    一方でこの姑が、「病むことへの自責」を抱くことは想像できます。病の辛さに加え、「汚れた霊」「神の罰」を受けているという悲嘆です。当時病は、それ自体の厳しさに加え、「神の掟に背いたという罰(レビ26)」の重荷を副次的に課せられたのです。何か昨今と似ています。主は「カファルナウム」で、その境遇にいる女性に「手を伸ばす(31)」のです。

 

    主の時代以前からの「隔離」は、生活空間を分け、衛生を目的としていました。荒野(の40年)を踏破するためでした。り患者はヨブのように、「神の試練」として困難を孤高に(助けを信じて)乗り越えるのでした。しかし主は、「困難」にご自身を踏み込ませるのです。姑の手を取った主イエスの手は、この週日も、私たちと共にあるのです。覚えましょう。

 




2024年2月1日木曜日

1/27.28 防府の梅

 

 防府の梅。今年も咲きました。
 柳井の屋根。ちょっとサビが目立ち始めました。どうにかせねば。
 徳山の鐘。朝8時になります。

教会の予定は以下の通りです。

2/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/4 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/6  火曜日 六日市チャペル礼拝 週報を用いた家庭礼拝です。

2/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/11 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/13  火曜日 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝です 

2/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

説教の要旨は以下の通りです。

マルコ1:2128(62)

 説教                 「ここが居場所」 

    マルコ福音書の「ナザレのイエス」に関する記述は、当然ですが、宗教色が強いものです。それは例えば、「(「北風と太陽」)の太陽」という意図です。今日、二度登場する「権威(22.27)」の言葉で明らかにされます。「権威」と「権力」は、似て非なるものと言えます。権威は自発性、権力は強制性を伴います。主は「会堂長(543)」の会堂で示します。

 

    「会堂」は、町村の一施設です。出身地でもない町の会堂で「教える(21)」ことから、主の教え方や内容は、一目置かれていたと見做せます。その比較対象は律法学者(22)でした。主の教えには「権威」があったのです。厳密には、主ご自身ではなく、その背後の神さまを感じさせる教え方でした。その「権威」は本来、律法学者が持つべきものでした。

 

    法律とは、秩序の維持を通し、個々の生活を支えるのが本質と思います。所が律法学者は、罰則を強化し、人々を区分し、格差を拡大しました。会堂にはこの時「汚れた霊の人(24)」がいました。この人こそ、律法学者の「権力」の被害者でした。「病」により「家族/実家と区分され、罰を課せられ、孤独」とさせられたのです。主は「関わ(24)」ります。

 

    聖書は「権威」を、本来は律法学者に帰すると理解しました。しかし彼らは「権力」と替えたのです。主も弟子たちも、やがて「権力」に悩まされ(マルコ223)ますが、屈しない主は「神の権威」を伝えました。「北風と太陽」の話を当てはめるなら、律法学者は北風、主イエスは太陽、昔も今も、人々を照らすのです。主の暖かさの中に、私たちもいるのです。