2016年11月27日日曜日

11/27 礼拝とアドベントクランツ


 今年もアドベント(待降節)が始まりました。
 赤いロウソクは柳井の、ロウソク台の「トロッケンゲビンデ」は益田の方の
 捧げて頂いたものです。


ロウソク台の「トロッケンゲビンデ」は実は木の実の集合体です。
そして控えめな小さなロウソク。徳山の方の捧げものです。
子供向けアドベントクランツ。

本日も、礼拝が行われ、礼拝後には豚汁(トンジル、ブタジル)の愛さんが振る舞われました。

本日から徳山外のアドベントイルミネーションが点灯を始めます。

今週、来週ともに礼拝や集会は以下の通りに行われます。

 いずれの集会、礼拝にもどなたでもご自由にお越し頂けます。

 11/29(火)徳山C聖書の学び
  15:00~16:00


 12/1(木)には、
       益田にて、小浜礼拝13:00~
       益田教会では 14:00~ 礼拝、 
        六日市礼拝 19:30~ です。
 12/4(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~

本日の礼拝のメッセージです。



【マタイ福音書21111節】
しばらくの間、礼拝ではマタイ福音書からの説教を聞きます。この福音書の特徴は、旧約聖書からの引用が多いということです。だがマタイも人で、引用に一か所の間違いがあります。本日の聖書9節の出典はゼカリア書。元来は「雌ロバの子であるロバ」に乗る方としていますが、マタイは「子ロバに乗る」と記載しています。明らかな間違いですが、この間違いを主も神さまも有効に用いて下さるのです。本日、記されている意味を聞きたいのです。

そもそもなぜ主は乗り物にロバを選ばれたのか。勇猛さや栄誉でなく、柔和さの象徴として選ばれたのです。ここまではどの福音書も同じですが、ここからが違う。マタイでは主は、ロバと子ロバに乗るのです。有体に言えばマタイの引用間違いから来る主の選択ですが、これは結果的に主の生き方と重なります。子ロバの元来の役は荷物運搬です。マタイの間違いは、荷物運搬用の子ロバと主とが重なる奇跡へと結びついたのです。子ロバは荷を運ぶが、主は人を担うと。有名なマタイ11章の聖句がここで反映。どんな過ちも神は益とする。

マタイ福音書には「疲れた者…」の聖句があります。主は世の人や重荷を負う方ですが、その方がやがて降誕されるのです。もしかしたら主の選択はロバであって、子ロバとの出会いは意図しなかったかもしれません。だが神さまは聖書の中でも、マタイやロバを運んだ人の間違いを受容し、間違いをむしろ主の生き方を輝かす栄光の器として用いるのです。

主はご自分の前にあるものを用いられた。それはすなわち、私たちをも用いられるということです。一体、私たちの何が用いられるのでしょうか。私たちの賜物、具体的な奉仕と挙げることが出来ますが、何も出来なくなったとすればどうか。大丈夫です。主は、目の前のロバをどう用いるか、お考えになった方です。何が出来るか、元気なときはそこに思いを至らせ、為し得ないと思える時は、居るだけで良い。不思議な形で用いられます。
 


2016年11月13日日曜日

11/13 献花とメッセージ


 本日の礼拝献花です。可愛らしい花です。つぼみよ開けと思いますが、
 この寒さでどうなるか…。


 本日も徳山では礼拝が行われました。礼拝後にはポトフ(スペアリブ)という、
 なんとも美味しい、かつ高カロリーなお料理を頂きました。

 今週、来週ともに礼拝や集会は以下の通りに行われます。

 いずれの集会、礼拝にもどなたでもご自由にお越し頂けます。

 11/15(火)徳山C聖書の学び
  15:00~16:00


 11/17(木)には、
       益田にて、小浜礼拝13:00~
       益田教会では 14:00~ 礼拝、 
        六日市礼拝 19:30~ です。
 11/20(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~

本日の礼拝のメッセージです。



【ルカ福音書202740節】
私たちは、イエスさまのお言葉を敬意をもって受け止めていますが、聖書の当時はどう見られたでしょうか。「問題児で監視」の扱いでした。エルサレムにはサドカイ派という、ユダヤ教の一派がいました。彼らは復活を否定するものでした。一方で主は以前に三度自身の復活を語ります。サドカイ派はそこに着目し、イエスさまとの対立姿勢を鮮明にするのです。

サドカイ派の意図は、復活の否定と、復活を公言する主を侮辱することでした。聖書の出来事への模範解答は、長男の権利を優先し長男の妻と答えることです。しかしそもそもサドカイ派も重んじる律法には、復活については未記載です。故に彼らは復活を否定するのです。肯定する立場の主に、律法への不敬と問題の煩雑さを提示するのです。対して主は復活の命を語ります。結婚という制度はなく、全ての人が神の子として生かされると語る。

復活の教義は2千年の神秘です。この2千年の間、復活した者は主の他にいませんが、それでも信じ続けてこられたのです。私たちは徐々に自身の終末に向かいます。聖書に依れば召天後、しばし休み、時満ちて世の終末の時に復活に至るのです。それを実証した者はいません。実証者はなくとも、希望はある。平たく言えば、私たちは、再会の望みを得つつ召されるか、全ての無を思いつつ召されるか。復活とは、希望に至るものです。

私たちはその主に結ばれているのです。復活は召天に至る私たちへの希望です。主はモーセの故事を語ります。これは出エジプト記3章からです。立派な指導者モーセは若年時、優柔不断で職務から逃亡の思いを抱いていました。そんな彼に神さまは、生きている神であると告げ、旅の最終地までを導くのです。私たちの地上の生涯の旅は続くのです。私たちは、全ては神によって生きる、ということを思いつつ、日ごとの生を感謝して過ごしたい。

2016年11月6日日曜日

11/6 礼拝と献花、教会の様子、メッセージ

皆さんが帰られたあとの礼拝堂です。
 本日は全聖徒の日の礼拝。皆さんは帰られても、十字架の光は礼拝堂に輝きます。


  外のプランターの花壇が整備されました。

  シクラメンと「龍のヒゲ」先週、整えられました。感謝です。


鐘撞堂下の植え込みです。こちらも龍のヒゲが植えられています。

 本日は、「全聖徒の日」として行われた礼拝、多くの方が御用事だったのですが、

  それでも、先に召された方々を覚え、集われました。

 今週、来週ともに礼拝や集会は以下の通りに行われます。

 いずれの集会、礼拝にもどなたでもご自由にお越し頂けます。

  11/8(火)徳山C聖書の学び
  15:00~16:00


 11/10(木)には、
       益田にて、小浜礼拝13:00~
       益田教会では 14:00~ 礼拝、 
        六日市礼拝 19:30~ です。
 11/13(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~

本日の礼拝のメッセージです。



【ヨハネ福音書162533節】
このヨハネ福音書は、1/2が主の最期の6日間を語っています。本日の聖書は13章からの流れです。そこにはユダの退出、ペトロの否認告知があります。二人の変心を前にした主が何を語るか。それが今日の聖書です。主は、神さまとはどういうお方か、愛の方であると知らせる。主は、弟子たちの心が傾いていても、神さまの愛は変わらないと語るのです。

後半は、主が全ての聖徒たちに送る言葉としても読めます。主は弟子たちの離散、ご自身の孤独を語ります。主ご自身、召天を前にして語るこの言葉は、私たちも先立つ人々も少なからず抱く感情でしょう。「家族や牧師が帰るのが辛い」「今後のことが心配」という召天者が居られました。やがて私たちもこのような感情と近しいのです。しかし主は一人でないと加えます。召天後の世界は即座に、神さまが導き、共にある安らぎの場なのです。

主は自身の不安も思いつつ弟子たちを勇気づけます。26-7節では、神さまが弟子たちを愛するゆえに、弟子たち自身の祈りは必ず聞かれると、祈りの大切さを言います。28節で、主は神さまのもとに行く決意を表明され、33節では「世に勝つ」と宣言されます。弟子たちの前に苦難が大きいと主は知っています。知りつつ主は世に勝つと言う。主は全てに勝つと言われます。どのような苦難も、主の知らぬものはない。それを覚えたいのです。

ここでの弟子たちは神妙ですが、十字架時には離散します。復活した主は、先ず弟子たちに関わります。この主は、見えませんが私たちと共にあります。聖書に「主のみ名による祈り」とありました。私たちの祈りは、主による祈りとしてみ前に届くのです。郵便で考えます。私たちの祈りの宛先は神さま。差出人は誰か。裏書は私たちだが、差出人は「主のみ名による祈り」をすることで主になるのです。主と共に一週間を生きていきたい。