2022年10月25日火曜日

10/21.22.23六日市ピーマン、防府と柳井

 

10/21(金)早朝に収穫されたピーマンを、六日市の方が届けてくださいました。

ボロネーゼソースとあえて、お昼の品にしました。

10/23(日)防府の礼拝堂。裏の生け垣が梳かれました。

見通しが良くなりました。

10/22(土)柳井の礼拝堂。献花も秋の花の盛りです。

 

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

10/26 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝 

10/29  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/30 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

11/2 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝

11/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/6  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

 

 説教             「気落ちする現状の中で」 

「一喜一憂」とは、日々の生活の中で起こります。好い事の半面、理不尽もあります。加えて「感情労働」の場合や立場上、内心を出すことを遠慮する時もあると思います。日課の裁判官は、当時の制度上、不思議な設定です。「神と隣人を愛する(申命記6章、レビ19)」律法に根差して人を裁く彼が、自ら「神を畏れず、人を人とも思わない(2.5)」と公言するのです。でも、あり得ない人や出来事があることを、主は現実として語るのです。

 

設定の不思議さは、裁判官だけではありません。「一人のやもめ(3)」にも注目です。いわゆる「やもめ」には、旧約聖書に「保護規定(24)」を見出せます。しかし福音書の彼女は、何かのトラブルを受けているのです。どちらに非があるかを問うことはできませんが、当事者間では解決が困難となっているのです。主は、律法という建前と、生の現実を告げます。そして人々がその中で、もがいていることを、生きる一人としてお覚えなのです。

 

たとえ話の中で、一読すると主は妙なことを言われます。6節「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい」と。裁判官自体の言葉に、聞くべきものはありません。しかし主は、「裁判官の塩対応に困る彼女」に思いを向けることを促しているのです。そして裁判官は、熱心な(格闘するような:旧約)彼女に根負けするのです。主は「まして神は、叫び求める声を聞いて下さる」と結びます。落胆せず、諦めることなく祈ることの大切さが告げられます。

 

十字架の直前、主はゲッセマネの園で祈ります。また後年パウロは、困難に直面していたテサロニケの教会に「絶えず祈りなさい」と送ります。個人的に「一喜」は文字通りで、「一憂」は「多憂」と思えます。古人も同様の中で、「祈る」ことを覚えたのです。祈りは、孤独な独り言ではありません。聞いて下さる神さまとの対話なのです。「多憂」の中で、自身や他者のための祈りを欠かさぬようにしたい。神さまが、私たちの思いを聞かれています。

 

 

 

2022年10月18日火曜日

10/12.15.16 六日市コスモスと、柳井、徳山、防府

 

10/18(火)早朝の徳山チャペルです。

この光景は朝早い時間しか見られません。聖壇がカラフルになるのです。

10/16(日)防府チャペルです。

雲が垂れていましたが、雨にまでは至りませんでした。

10/15(土)柳井チャペルの聖壇です。

そして10/12(水)の六日市チャペル(本屋さん)。

秋桜(コスモス)。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

10/19 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝 

10/22  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/23 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

10/26 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝

10/29 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/30  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

 説教             「気落ちする現状の中で」 

「一喜一憂」とは、日々の生活の中で起こります。好い事の半面、理不尽もあります。加えて「感情労働」の場合や立場上、内心を出すことを遠慮する時もあると思います。日課の裁判官は、当時の制度上、不思議な設定です。「神と隣人を愛する(申命記6章、レビ19)」律法に根差して人を裁く彼が、自ら「神を畏れず、人を人とも思わない(2.5)」と公言するのです。でも、あり得ない人や出来事があることを、主は現実として語るのです。

 

設定の不思議さは、裁判官だけではありません。「一人のやもめ(3)」にも注目です。いわゆる「やもめ」には、旧約聖書に「保護規定(24)」を見出せます。しかし福音書の彼女は、何かのトラブルを受けているのです。どちらに非があるかを問うことはできませんが、当事者間では解決が困難となっているのです。主は、律法という建前と、生の現実を告げます。そして人々がその中で、もがいていることを、生きる一人としてお覚えなのです。

 

たとえ話の中で、一読すると主は妙なことを言われます。6節「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい」と。裁判官自体の言葉に、聞くべきものはありません。しかし主は、「裁判官の塩対応に困る彼女」に思いを向けることを促しているのです。そして裁判官は、熱心な(格闘するような:旧約)彼女に根負けするのです。主は「まして神は、叫び求める声を聞いて下さる」と結びます。落胆せず、諦めることなく祈ることの大切さが告げられます。

 

十字架の直前、主はゲッセマネの園で祈ります。また後年パウロは、困難に直面していたテサロニケの教会に「絶えず祈りなさい」と送ります。個人的に「一喜」は文字通りで、「一憂」は「多憂」と思えます。古人も同様の中で、「祈る」ことを覚えたのです。祈りは、孤独な独り言ではありません。聞いて下さる神さまとの対話なのです。「多憂」の中で、自身や他者のための祈りを欠かさぬようにしたい。神さまが、私たちの思いを聞かれています。

 









2022年10月12日水曜日

10/8.9 礼拝堂と花壇

 

 10/9(日)防府の礼拝堂でした。

 午後の日が、ステンドグラスから礼拝堂に入ってきています。

 10/8(土)に整備された、徳山の外、花壇です。

 冬の外気に強い花が植えられました。

 一方、奥にはまだアサガオ。

こちらは、10/5(水)の六日市礼拝の献花。

ヤブマメという付箋があります。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

10/12 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝 

10/15  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/16 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

10/19 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝

10/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/23  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

 説教             「心に感謝、言葉で感謝」 

小説/映画「砂の器」(松本清張)に、ハンセン病に関わりのある父子の、巡礼の場面があります。村を追われた父子の、苦悩の背の映像を記憶します。聖書の「重い皮膚病」は、以前の翻訳でハンセン病の旧表現が用いられていました。旧約の日課には、この病が歴史的制約の中にあった記述を見出せますし、福音書にも、この病の方々が「サマリアとユダヤの間」双方の地域の境に住んだとあります。故郷を追われ(離れ)、支え合っていたのでしょう。

 

主イエスがこの村に入ると、10人が出迎えたとあります。彼らの状況を、端的に表現する言葉があります。「遠くの方に立ち止まり(12)」「声を張り上げる(13)」というものです。「宿営の外(レビ143)」で扱われた病ですので、接近禁止の規定や、「自ら遠慮すること」を自覚したのでしょう。だが主はその彼らを「見て、言われ(14)」ます。言葉の用い方から、双方の距離は縮んでいます。当時の理解を超え、主が彼らに近づかれるのです。

 

この病の癒しは「祭司の所に行き、体を見せる(14、レビ14)」ことを通して、完了するのです。恐らく半信半疑の10人は、皆が癒されたことを知ります。9人についてはガリラヤ人でした。故郷に帰り、祭司に治癒証明を頂き、元の生活に戻るのです。当然、主への感謝はあったでしょう。村を追われ(離れ)、県境で暮らし、主と出会い、癒された感謝の思いは、人生の根幹を占めたと思います。しかし、日々を生きる中で、感謝は多忙に溶けるのです。

 

教会や主イエス、先人や聖書の言葉との出会いの中に、今の私たちがいます。往時を思えば、感謝は確かに心に浮かびます。一方で、日々に目を向ければ、感謝は溶けてしまうものです。「信仰」とは、信じて仰ぐことを言います。私たちに近づく主イエスのお姿を、日々一度でも良いので短く覚えたい。どこに居ようとも、たとえ県境、地峡、限界状況にあったとしても、主イエスが訪れない場所はないのです。主を思い、共に、日々を生きたい。