2022年10月12日水曜日

10/8.9 礼拝堂と花壇

 

 10/9(日)防府の礼拝堂でした。

 午後の日が、ステンドグラスから礼拝堂に入ってきています。

 10/8(土)に整備された、徳山の外、花壇です。

 冬の外気に強い花が植えられました。

 一方、奥にはまだアサガオ。

こちらは、10/5(水)の六日市礼拝の献花。

ヤブマメという付箋があります。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

10/12 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝 

10/15  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/16 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

10/19 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝

10/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/23  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

 説教             「心に感謝、言葉で感謝」 

小説/映画「砂の器」(松本清張)に、ハンセン病に関わりのある父子の、巡礼の場面があります。村を追われた父子の、苦悩の背の映像を記憶します。聖書の「重い皮膚病」は、以前の翻訳でハンセン病の旧表現が用いられていました。旧約の日課には、この病が歴史的制約の中にあった記述を見出せますし、福音書にも、この病の方々が「サマリアとユダヤの間」双方の地域の境に住んだとあります。故郷を追われ(離れ)、支え合っていたのでしょう。

 

主イエスがこの村に入ると、10人が出迎えたとあります。彼らの状況を、端的に表現する言葉があります。「遠くの方に立ち止まり(12)」「声を張り上げる(13)」というものです。「宿営の外(レビ143)」で扱われた病ですので、接近禁止の規定や、「自ら遠慮すること」を自覚したのでしょう。だが主はその彼らを「見て、言われ(14)」ます。言葉の用い方から、双方の距離は縮んでいます。当時の理解を超え、主が彼らに近づかれるのです。

 

この病の癒しは「祭司の所に行き、体を見せる(14、レビ14)」ことを通して、完了するのです。恐らく半信半疑の10人は、皆が癒されたことを知ります。9人についてはガリラヤ人でした。故郷に帰り、祭司に治癒証明を頂き、元の生活に戻るのです。当然、主への感謝はあったでしょう。村を追われ(離れ)、県境で暮らし、主と出会い、癒された感謝の思いは、人生の根幹を占めたと思います。しかし、日々を生きる中で、感謝は多忙に溶けるのです。

 

教会や主イエス、先人や聖書の言葉との出会いの中に、今の私たちがいます。往時を思えば、感謝は確かに心に浮かびます。一方で、日々に目を向ければ、感謝は溶けてしまうものです。「信仰」とは、信じて仰ぐことを言います。私たちに近づく主イエスのお姿を、日々一度でも良いので短く覚えたい。どこに居ようとも、たとえ県境、地峡、限界状況にあったとしても、主イエスが訪れない場所はないのです。主を思い、共に、日々を生きたい。