2020年1月29日水曜日

1/22.25.26 それぞれの礼拝堂

  1/26 防府礼拝堂の前景です。

  1/22 益田礼拝堂の入口。

  1/25 柳井礼拝堂。赤じゅうたんがきれいになりました!

1/26 徳山の礼拝堂。礼拝後には総会が行われました。

 今週、来週の予定は下記の通りです。

1/29 水曜日 19時 六日市礼拝

1/31 金曜日 聖書を学ぶ会 於:徳山
  
2/01 土曜日 15時 柳井C礼拝 

2/02 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
        15時半 防府C礼拝
 
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


マタイ福音書 412-17
 「悔い改めよ、天の国は近づいた(17)」。これほど慰め、恵み、福音に満ちた言葉はない。「悔い改めよ」とは、私たち人間の道徳的回心が第一義な言葉ではありません。まず神さまはあなたの心を見、支えて下さっていたことを思い、神さまの方に方向転換をすること。これが悔い改めなのです。また、「天の国は近づいた」も同様、私たちが神に近づくのでなく、向こうから近づいて下さるのです。主の宣教はその言葉で始まったのです。

 それは、どこで始まったか。「ガリラヤ(12)」、古名では「ゼブルンとナフタリ(15)」でした。もともとこの地は、ヤコブの子どもたちである「ゼブルンとナフタリ(創世記308/20)」に授けられた地域でした。ところがその後、他民族に占領/文化混交/解放されるという、外圧に翻弄された地域でした。だからこそ、主に遡るイザヤの時代には「暗闇の地、死の影の地(16)」等という、真に不名誉な呼ばれ方が為されるに至ったのです。

 主はその「ガリラヤ地方に退く(12)」のです。「退く」という翻訳では主のお気持ちを言い表しているとは言えないかもしれません。元々は「赴く」とも翻訳できる言葉。主は、ガリラヤに出かけることを自らの使命とし、積極的な気持ちで出かけられたのです。何のためか。それは、時代の故とはいえ、言われない言葉や態度を長年受け続けたガリラヤの人々に神さまの愛を伝えるためだったのです。この聖書の直後、主は4人の漁師に声を掛け、弟子とするのです。厳しい職場環境の中にいた人を主は決して見捨てられない。

ここに主が私たちに語り掛けて下さっていることを見出せます。「ブラックな」環境、それはまた私たちの現状や先行きかもしれません。「暗闇や死の影」が現実に存在することを知っています。そこに「大きな光、差し込む光(16)」を聖書が語り、その後に主の「悔い改めよ」のお言葉が続くことを大事にしたい。主はガリラヤに「赴いて」下さる。それはとりもなおさず、私たち一人ひとりの傍に近づいて下さることです。かつて「インマヌエル(共にある)」と予言された幼子は、「イエス(救う)」方として、私たちを導かれるのです。
 




2020年1月19日日曜日

1/15.18.19 礼拝堂

  1/12の防府礼拝所の様子です。
 
 こちらは、1/15の六日市礼拝の様子です。
教会員のお宅で礼拝を行わせて頂いています。
こちらは、1/19の徳山礼拝後の様子です。奥に見えるのが(仮)納骨堂です。

今週、来週の予定は下記の通りです。

1/22 水曜日 19時 六日市礼拝

1/24 金曜日 聖書を学ぶ会 於:徳山
  
1/25 土曜日 15時 柳井C礼拝 

1/26 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
        15時半 防府C礼拝
 
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。



ヨハネ福音書 1章35-42
 このヨハネ福音書は、他の福音書よりも後にまとめられたものです。この福音書だけという話が幾つもあります。主の弟子に関して言えば、他の福音書は「ペトロ、ヤコブ、ヨハネ」が多く登場します。ヨハネ福音書にも彼らは登場しますが、別に「アンデレ」という人も登場します。ペトロの、おそらく弟。そしてこの彼こそ、他の箇所では明らかな「狂言回し」。今日の聖書でもそれと同じ役を与えられ、主の恵みを説明する大役を得るのです。

 では、何を「分かりやすく伝える」か。主の立ち位置と、それに伴う私たちとのつながりを表すのです。その立ち位置には二つの事柄があります。一つ目は信仰的立ち位置、もう一つは現実の立ち位置です。もともとこのアンデレは、洗礼者ヨハネの弟子でした。歩いていた主について、ヨハネが傍にいたアンデレに「神の小羊だ」と告げます。「人々をあがなう方、神と人々を執り成す方」と聞いたアンデレは、主の弟子となると書かれています。

 主の弟子となったアンデレは、「どこにお泊りですか(38)」と主に尋ねます。これは翻訳に困る言葉なのです。「あなたの御心はどこにあるか」「何を拠り所とするか」とも訳せる言葉なのです。訪ねたアンデレを主は「来なさい(39)」と招き、宿屋に案内します。確かに「宿屋」は紹介しました。しかしその宿屋で主はアンデレと語り合う。翌日アンデレは、自分の兄、シモンに主を紹介するにまで至るのです。主のみ言葉を聞き、主の理解の根底にある「神さまを拠り所とする生」「つながる姿勢」に感銘を受けたのだと思われます。

 信仰的立ち位置を説明した場所は、ベタニア(128)。「悩みの家」「貧困の家」という意味を持つ村です。アンデレは、主が公生涯の始まりに心を寄せた人々の村を改めて私たちに覚えさせるのです。アンデレも人間。後の「五千人の給食」では、「パンも魚も足りない」と、ある意味で不名誉な狂言回しの役を与えられますが、それも主の恵みの出来事を引き出す姿だったのです。アンデレの如く、「他者に伝える」ことも踏まえつつ、悩みつつ、貧しさを覚えつつ生きる者に思いを寄せて下さる主を思いつつ、日々歩みたい