2020年1月5日日曜日

1/4.5 礼拝

  おそらく年末の、柳井教会礼拝堂です。

おそらく年末の、徳山教会礼拝堂です。大掃除が済みました。

 今週、来週の予定は下記の通りです。

1/8 水曜日 19時 六日市礼拝

1/10 金曜日 聖書を学ぶ会 於:徳山
  
1/11 土曜日 15時 柳井C礼拝 

1/12 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
        15時半 防府C礼拝
 
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


マタイ福音書 21-12
 新年を迎えました。この年の初めも、聖書は私たちに神さまの御心を語ります。内容は良く知られた「顕現主日」の日課です。「神と人」とのコントラスト(対称)が著しい箇所であります。占星術の学者たちを導く神からの星と、星を見失った彼らが救い主の誕生をヘロデに知らせる姿。自分たちを導く星を再度見出す学者たちと、導くみ言葉を捻じ曲げてヘロデに進言する御用宗教者。ベツレヘムで喜びに満たされた学者たちと、エルサレムの宮殿で疑心暗鬼に心を浸らせるヘロデ大王。神の御心と人間の姿の現実です。

 語る箇所を分散させずに一つに絞りたい。箇所は6節。これは旧約聖書のミカ書の引用となります。しかし原典ミカ51には「ベツレヘムは小さい村」とある。そもそもこのベツレヘムは、旧約にも登場する町ですが、ミカの時代も「小さな町」だったようです。しかしヘロデ大王の傍にいた宗教者たちは4-6節でミカ書を引用しながらも「決して一番小さい村ではない」と、ミカの言葉を捻じ曲げています。王への忖度があったのでしょう。

 ヘロデは「ベツレヘムは小さな町でない」とする宗教者たちの言葉を受け、学者たちを送り出す(8)。送り出されてから直ぐに彼らは、導いた星を再度見出したのです(9)。それも、主の生まれた家まで導いた。恐らく異邦人であった占星術の学者たちは、聖書の神の導きを途中見失うこともあったが、導きに信頼して、またこれまでの往路の導きを思い出して歩んだ。「かつて」を思い起こす学者たちの姿は、今年の聖句とも重なります。

 聖書は、神の恵みと民の背反の「コントラスト(対称)」の繰り返しです。しかし神はご自身で、また預言者たちを通し「恵みを思い出せ」と絶えずお語り下さる。申命記も同様。神がかつて自分たちを砂漠から導いたことを語るのです。年の初めに、私たちは「自らをここまで導かれた神の御手と御腕」を思い起こしたい。その神が今年も、主と愛する者たちに出会わせて下さる教会を開かれる感謝を思い出したい。主が共にあるように。