2/4(日)防府チャペルの礼拝堂です。聖餐式が行われ、総会報告書が
感謝のうちに配布されました。
2/3(土)柳井チャペルの礼拝堂です。こちらも同様、聖餐式と総会が行われました。2/4(日)は徳山チャペルでも聖餐式と総会が行われました。
教会の予定は以下の通りです。
2/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
2/11 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
2/13 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
2/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
2/20 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
2/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
2/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■マルコ1:29~34 (新62)
主は「カファルナウム」の「ペトロの姑(30)」の熱病を癒されました。700年前から「暗闇/死の影の地(イザヤ8)」と呼ばれた「ガリラヤ地方」でのことでした。時は安息日、二度目の癒しです。「ガリラヤ」で「安息日」に「熱病」を治す。これは、当時の「常識」である「聖書」の記載を超えているものでした。記されている主の思いを聞きましょう。
「安息日」についてです。まだ公然と非難されませんが、主は「安息日」二度目の癒しを行います。典拠はあいまいです(出エ35/申5)。主は、規定の曖昧さを示します。一方で「熱病」は「神罰」とされていました(レビ26)。人々(30)は、姑の「高熱(ルカ4:38)」を案じつつも、「宗教的禁忌」に近づいていくことを恐れ、手をこまねいていたのです。
一方でこの姑が、「病むことへの自責」を抱くことは想像できます。病の辛さに加え、「汚れた霊」「神の罰」を受けているという悲嘆です。当時病は、それ自体の厳しさに加え、「神の掟に背いたという罰(レビ26)」の重荷を副次的に課せられたのです。何か昨今と似ています。主は「カファルナウム」で、その境遇にいる女性に「手を伸ばす(31)」のです。
主の時代以前からの「隔離」は、生活空間を分け、衛生を目的としていました。荒野(の40年)を踏破するためでした。り患者はヨブのように、「神の試練」として困難を孤高に(助けを信じて)乗り越えるのでした。しかし主は、「困難」にご自身を踏み込ませるのです。姑の手を取った主イエスの手は、この週日も、私たちと共にあるのです。覚えましょう。