7/22(火)先ほど撮った、徳山礼拝所となります。
朝の光が礼拝堂に入り込んでいます。やや蒸しています。
7/19(土)柳井礼拝所。こちらも午後礼拝。
これからしばらく、夏の暑さとの闘いの日々です。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
7/23 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
7/26 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
7/30 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
8/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
8/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
7/20(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。
聖霊降臨後第6主日 説教
ルカ福音書10章38節-42節 「語るに遅く、聞くに早く」
水原一郎
①
本日は、ルカ福音書10章38節からのみ言葉をご一緒に味わいましょう。皆さんは、この「マルタとマリア」の場面を読むと、どちらに自分を重ねますか?落ち着いてイエス様の話を聞くマリアか。忙しなく働き続けるマルタか。当時、女性がこうした場に座って学ぶことは、簡単ではありませんでした。それでもマリアは、自分の身分や立場を超えて、ただまっすぐに主の言葉を求めたのです。
②
マリアが、なぜそこまでしてみ言葉を聞こうとしていたのか? その理由や背景は、聖書には書かれていません。一方で、マルタの行動には、具体的な背景が見えてきます。今日の箇所は、ルカ福音書10章の流れにあります。10章冒頭では、主イエスが72人の弟子を任命して、町々に派遣されます。その弟子たちが戻ってきて、喜びの報告をする。直後に、「善きサマリア人」のたとえ話が語られます。そして今日の場面、「一行がある村に入った」と続くのです。
③
そこに「一行」のヒントがあります。 主イエスと12人の弟子たち? 72人? いずれにせよ、10人以上の客が急にやって来たら、皆さんどうしますか?マルタは、それを一人で迎えたのです。飲み物に食事、部屋の準備―。やることは山ほどあります。しかも、集まっているのは、30歳前後の男性たち。よく食べ、よく話す、元気な人々です。
④
マルタは、自ら主イエス一行を迎え入れ、もてなしました。ふと気づくのです。「マリアがいない。私ひとりで?」そして主の話し声が聞こえてくる。「なぜ、あの子は聴くことばかり…?」心の中で何かが弾けたように、マルタは主に訴えます。「主よ、私の妹が手伝わないのを、なんとも思われませんか?」
⑤
私たちも、そんなふうに感じること、ありますよね? 家族や職場で一生懸命働いているとき。「なんで私ばっかり?」「誰もわかってくれない」と思う瞬間。マルタの「もてなし」は、聖書では「ディアコニア」と記されています。これは、仕える働き、ホコリをかぶるような働きのことです。だからマルタの姿は、「間違い」ではありません。むしろ、善きサマリア人のように、み言葉を「行い」で表現していたとも言えるのです。しかし問題は、その働き事態が目的となり、主との交わり、御言葉が見えなくなっていた――そこに、主は目を留められたのです。
⑥
主は、そんなマルタにこう言われました。「マルタ、マルタ」と。これは叱っているのではなく、優しく呼びかけておられるのです。旧約聖書でも、「アブラハム、アブラハム」「サムエル、サムエル」と、神は大切な場面で、名を二度呼ばれます。主は、マルタのすべてを見ておられました。
⑦
ここに、マリアの姿勢が大切なのです。主の足もとに座り、御言葉を受け取ること。そこに、正しい順序があります。み言葉に整えられてこそ、真のディアコニアは生まれるのです。私たちもまた、日々の忙しさの中で、まず主の言葉にとどまり、心を静める時間を大切にしましょう。その中から、人を生かす働きが生まれるのです。