2025年11月4日火曜日

10/28呉教会、10/30西宮、10/31ハロウィン、11/1柳井、11/2徳山、11/3宇部

 

11/3 るうてる秋の大会が行われました。

会場は宇部教会。都南教会の安田真由子氏を招いての講演会でした。

11/2(日)防府礼拝所の全聖徒主日の様子です。
10/31(金)これは…ハロウィンミカン。

ハロウィンとミカンを融合させたそのセンスが素晴らしいと思います。

あ・・・オレンジカボチャの代わりに、ミカンなのね。

11/1(土)柳井礼拝所の召天者記念礼拝。

礼拝に先立ち、召天20年を迎える信徒の方の記念会を行いました。

10/30(木)兵庫の西宮教会に出張してきました。

植えた方は召天されましたが、ブンタンは実っています。

10/28(火)牧師の研修会で呉に行きました。

「クレアライン」は、2018年の西日本豪雨からの復旧作業が行われていました。

これは、呉教会の屋上から市内を臨んだものです。

呉教会
呉教会②

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。


11/5 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝 

11/12 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

11/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝 

11/2(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。 


全聖徒主日 説教 

ルカ福音書191-10節 「主の記憶に生きる人々」

水原一郎

① 本日、私たちは「全聖徒主日」を迎えています。この日は、神さまによってこの世に命を与えられ、今はすでに天の御国へと召された方々その方々との「出会いの出来事」を覚える日です。私たちは日々、多くの人とすれ違います。けれど人生を共に歩み、祈り、支え合った人は限られています。親や兄弟、友や信仰の仲間。その方々と共に過ごした時間が、私たちの心に残り続けています。神さまは、一足早くその方々を御もとに召されました。けれども今日の福音書、徴税人ザアカイの物語は、彼らが今どこにいるのか、そして私たちとのつながりがどのように続いているのかを示してくれます。


② 舞台はエリコの町です。そこに、徴税人の頭ザアカイがいました。彼はローマ帝国の手先でした。同胞から税を取り立て、不正と搾取にまみれた存在と見なされていました。主イエスが町に入られたとき、ザアカイもその姿を見たいと願いましたが、背が低く、群衆にさえぎられ見ることができません。誰も彼に道を譲ろうとはせず、彼は人々の間に居場所を失っていました。けれども彼は、あきらめずに先回りして木に登ります。


③ 主イエスはその木の下を通られます。そして見上げて言われました。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひ、あなたの家に泊まりたい」。ザアカイが名乗ったわけでも、呼びかけたわけでもありません。主イエスの方が、ザアカイの名を呼ばれたのです。拒まれることに慣れていたザアカイにとって、この呼びかけは、自分が「主イエスに知られ、覚えられていた」という慰めそのものでした。尊い方の記憶の中に、自分の名が刻まれていた――その気づきが、彼の人生を変えていきます。

④ 主イエスとの出会いは、ザアカイに三つの恵みを示します。第一に、孤独からの解放。「今日はあなたの家に泊まりたい」と言われた言葉に、彼は「自分が愛されている」という確信を得ました。第二に、喜べる日々の回復です。彼は自らの過ちを思い出し、「財産の半分を貧しい人々に施し、だれかからだまし取ったなら四倍にして返します」と語ります。主との出会いによって、富ではなく他者と共に生きる喜びを取り戻したのです。第三に、主は彼を「アブラハムの子」と呼ばれました。もはや彼は蔑まれた過去に縛られず、神の約束にあずかる者として、新しい群れに迎え入れられたのです。


⑤ このザアカイの姿は、私たちが今日覚える召天者の方々と重なります。主イエスは、彼ら一人ひとりの名を呼び、記憶しておられます。(ここで本年度、ご召天になった方のお名前を入れても良い。)明確な信仰の言葉を残さなかった方であっても、主のまなざしの中で見いだされているのです。人には見えない心の痛みや渇きも、主はすでにご存じです。そして、私たちもまたその同じまなざしの中に生かされています。


⑥ ザアカイは木の上から降りて、主イエスを自分の家に迎え入れました。私たちもまた、心の奥に主を迎え入れ、過ぎ去った日々の出会いを神の記憶のうちに委ねたいと思います。地上の旅路が終わっても、主のもとでの新しい出会いが始まっているのです。復活の主は、死を越えて私たちを結び合わせ、再び顔と顔を合わせる希望を与えてくださいます。「ザアカイ、急いで降りてきなさい」と呼ばれたその声は、今も私たちに響いています。主のまなざしに支えられつつ、私たちもまた日々を歩みましょう――覚えられ、名を呼ばれ、いつか再び出会う希望のうちに。