礼拝堂の明かりを落として撮影したために、このようになっています。
背景には、徳山の十字架があります。
9/16(土)小浜礼拝前の海です。近づく台風の影響で、海は大荒れでした。
昨日、本日ともに、益田小浜、益田元町、六日市、徳山で礼拝が行われました。
特に本日、台風の影響が危ぶまれましたが、大勢が集われました。
聖書の学びが再開しています。今週、来週ともに以下の日程で集会、礼拝が
行われます。
9/19 (火)15:00 徳山 聖書の学び
9/23 (土)13:00 益田 小浜礼拝
14:00 益田 元町礼拝
19:30 六日市礼拝
9/24(日)10:45 徳山 礼拝
いづれの礼拝、集会ともにどなたでもご自由にお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【マタイ福音書16章13節-20節】
フィリポ‣カイサリアとは、時の領主がローマ皇帝に献上した地域の一つでした。町に住まう住民の意思とは無関係に、地域全体がローマ風に替えられたのです。その地域に属するある町で、主がご自身の噂を求めます。町の人々は、ローマ支配下でも聖書の伝統に生きる人々でしたから、聖書の偉人(しかしごく地域的な預言者)を主に重ねます。しかしこれは、当たり障りのない答えと言えます。どこにローマの耳があるか分からない町ですから、主を、政治家でなく過去の宗教者と見做す回答を為します。余計な軋轢を防ぐ、人の姿ですね。
そのような雰囲気ただよう中、ペトロが面目躍如します。主を「生ける神の子」と答えるのです。ローマ支配下の町で、他の弟子たちが過去の偉人の名前を持ち出してきたこの空気で、「神の子」と言う告白は素晴らしい。主もペトロの男気を「幸いである」と祝福します。
けれど主の心には彼への一抹の不安がありました。その不安を象徴するのが彼の名の呼称です。主は彼をまず「シモン‣バルヨナ」と本名で呼びます。今までペトロと呼んでいたのに、ここで本名を呼ぶ。素の彼に注目し、改めて「ペトロ」と呼びます。「大岩」の意味ですが、実は石全体を表す言葉です。意味には大岩も小石もあるのです。また彼の地は火山地帯で、軽石も転がっていた。つまり彼を「ペトロ」と呼んだ意図は、主にしか分からない。確かに彼は、やがて偉大な人物となりますが、果たして主はどのような意図で彼をペトロと呼ぶか?
ここで面目躍如の答えを為したペトロは、直後に散々な叱られようを見せています(退け、サタン)。主の意図としては、ペトロを含む誰もが、小石、さざれ石のようなものだったのでしょう。けれども「さざれ石が巌となる」ペトロはやがて、自身の不甲斐なさをも全て知られている所に立って、教会を導く働きに身を投じて行くのです。巨岩となったのです。ペトロが主から頂いた「鍵」は私たちにも与えられています。何を開ける鍵でしょう。