4/9 徳山教会の外、秋月小学校のグラウンドの桜です。
教会には桜吹雪が期間限定で降っています。
4/6 柳井の屋根補修。工事が始まり、足場が組まれました。
4/6 看板。
4/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
4/16 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
4/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
4/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■ ヨハネ20:19~23 (新210)
■ 説教 「シャロームの意味」
「ペトロの裏切り」は、どの福音書も描きます。ヨハネ福音書のみは、ペトロへの赦しという意味の「続編、後日譚」を21章で記します。その起点が本日の箇所です。時は過越祭の二日後(つまり日曜日)、場所はエルサレム、11人の弟子たちは直前にマリアから、主に出会ったと聞いたばかりでした。その弟子たちは「ユダヤ人を恐れ(19)」ていました。
「宗教者」という意味の「ユダヤ人」は、何をしたのか。人々、ローマ総督を扇動(ヨハネ19:12)し、主の死刑を決めたこと。十字架というローマの刑具を主に適用し、主の名誉を徹底的に棄損したこと(申21:22)。一連の出来事の暗躍が弟子たちを恐れさせます。その結果は、マリアによる復活証言が、疑心暗鬼の材料となってしまったことでした。
出会ったのは「まこと」か。体制側に寝返ったのか。虚言ではないか。罪なき主をいとも容易く極刑に定めたユダヤ人への恐れと、自身の保身がありました。また「熱心さが身を亡ぼす(2:17)」と感想を漏らした後悔もあったと見れます。その真ん中「恐れや不安の中に、主はおられる」のです。表情は穏やかで、主は弟子たちを「遣わす」と言われます。
「遣わす」とはこの福音書の重要な言葉です。3:16「神が御子を世に遣わす」と主は言われますが、今主は弟子たちを「ユダヤ人を始めとする」この世に遣わします。困難さは目に見えています。主は、任せきりではなく、必要な時に、必要な人を示します。代表がこの後の「ペトロ」でした。主はペトロを赦し、使命を与えます。それはまた私たちも同じです。