2025年10月21日火曜日

10/18柳井、10/19防府はっさく、10/21徳山ジャガイモ

 

10/21(火)ジャガイモが芽を出しています。

欠いた芽を植えたところに出来た小芋を、おそらく収穫し忘れていたのでしょう。

じゃがいも…?と思っていた芽を、GOOGLE先生が教えてくれました。

でもAI。掘ってみるまで分かりません。

10/19(日)防府の牧師館横に生えているハッサク。

大きくなって欲しいものです。こちらも。

10/19(日)防府の礼拝堂。

少人数ながらも、今日も礼拝が行われました。

10/18(土)柳井の礼拝堂。

11月には召天者記念礼拝、記念会、子ども祝福礼拝が行われます。


今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。


10/22 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

10/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/26 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝 

10/29 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

11/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝 

10/19(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。 

聖霊降臨後第19主日 説教 

ルカ福音書181-8節 「必ず応えて下さる神」

水原一郎

ルカ福音書181節からの「やもめと裁判官」のたとえです。これは「諦めない信仰/心を持つ話」とは受け止められません。限界がある「私の心」の在り方に重きが置かれ、結論は見えるからです。主イエスはこのたとえを語った意図は明らかです。1節にこうあります。「絶えず祈り、失望してはならないことを教えるため」と。これは、皆さんの心には、向かい合う対象としての、神さまがおられるという話なのです。


 このたとえに登場する「やもめ」は、当時の社会の中で、最も弱い立場にある者のしるしでした。律法では、「やもめ」は特別に保護されていました。出エジプト記2221節には、「寡婦を苦しめてはならない」、さらに22節「もし彼女が叫べば、わたしは必ずその叫びを聞く」と、神さまの正義は、「弱い立場の声に耳を傾ける」ことを示します。それにもかかわらず、たとえに登場する裁判官は、「神を恐れず、人を人とも思わない者」(4節)と描かれています。律法を無視し、訴えに耳を貸そうとしない。ここに、制度や権威が、声なき者を踏みにじる現実が描き出されています。


 この裁判官の姿は、単なる比喩ではなく、現代にも通じる警告です。制度はあっても、助けを求める人に届かない。本来「正義を司る」はずの者が、私利私欲や無関心に流されて、弱者の訴えを黙殺する。強さや権力、資金に頼り、弱さには目を持向けることはない。そのような形は、今日の社会にも、似たような構造が存在します。ルカ福音書は、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官を通して、「神のかたち」に造られた隣人を見ようとしない人間の罪を暴き出します。


 やもめは、何度も訴え続けました。すると、このやる気のない裁判官は、ついには法廷を開くに至ります。理由は正義でも律法でもありません。「このやもめがうるさくてかなわないから」です(5節)。この展開は、たとえ話の皮肉な転換となります。正義のゆえではないにもかかわらず、願いは聞かれた。まして、神さまは正義そのものであられる。だから、選ばれた者たちの叫びを聞き流されることは、あり得ないのです。主は「神は選ばれた者のために、速やかに正義を行って下さる」と語られます(7節)。ここでいう「すみやかに」とは、「人間の時間感覚で即座に」ではありません。「神さまは、必要な時に遅れることなく、答えられる」という意味です。確かに、神の応答は、私たちの期待より遅いこともあります。しかし、決して遅すぎることはないのです。


 たとえの終わりと、主イエスご自身の結論とは異なります。たとえは「やもめのしつこさ」によって裁判官が動かされた、という形で終わりますが、主イエスはそこから一歩踏み出し、「まして神は」と語られました。主の関心は、私たちの熱心さではなく、神の誠実さにあります。祈りの答えがいつ与えられるか、それは神の時に委ねられています。だからこそ、見える結果に左右されず、祈りを手放さない心が求められるのです。主イエスは最後に問いかけられました──「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」(8節)。この問いは、すべての時代の信仰者に向けられています。神が正義を行ってくださるという約束を信じ、祈りを保ちつつ、信仰に生きる者でありたいと願います。