本日も、徳山C、防府C、柳井Cでは礼拝が行われました。
写真は徳山Cの献花でした。
いよいよ来週は、クリスマス礼拝が行われます。
どなたでもご自由にいらしていただけますので、ご自由にお集まりください。
12/20(日)
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
12/17(木)には、
益田14:00~
六日市19:30~です。
本日の説教要旨です。
【ルカ福音書1章26-38節】
人生の夢や設計図というと「青さ」を思います。主の母マリアは、絵画や劇では可憐な少女として描かれています。実際の年齢は主妊娠時、14歳ほど。当時は立派な大人の一員でした。結婚を控えた少女の夢や設計図は何か。旧約聖書の伝統に従う者として「産めよ増えよ」を期待していたことでしょう。しかし、その夢や設計図が天使によって一夜にして崩壊したのです。
「おめでとう」という天使です。「嬉しい、良かった」いわば最大級の賛辞です。しかしマリアは、何がおめでたいのかと戸惑います。続けて天使はマリアに多くを告げます。神の共在と恵み、妊娠、子が偉大と。天使のこれらの言葉は、この時期以外に聞けば喜ばしいものです。しかし結婚前の妊娠が公然となれば身の破滅です。「姦淫の女」として町辻で石打刑に処せられます。しかも、夫たる人が第一に石を投げ付け裁くのがご定法なのです。マリアの心中はいかがか。
結婚するのは天使でなくマリアでした。夢や設計図は脆く崩れます。私たちが注目したいのはここからです。マリアは自分の人生に終止符を打ち得ましたし、また誰も知らない遠方に旅立つことも出来ました。だがマリアはどれも選ばず、「お言葉通り」とみ言葉の実現を願うのです。信仰とは期待すること、自身の問題がどうに導かれるか希望することです。短い時間に、マリアは確かにこれまでの設計図を破られましたが、即座に新たな設計図が与えられたのです。
自分の夢や設計図を持つ私たちです。それが壊れる時があります。だが神は、そんな折も必ず新たな道行を指し示して下さるお方なのです。一例を申し上げましょう。マリアの出産期に合わせたかのようにして、住民登録が発令されました。マリアは日々大きくなるお腹を、住まう町ナザレで他者から観られなかったのです。神はマリアの恐れや不安を知り、「住民登録」という必要で具体的な手立てを取ったのです。神が共にあるということは、日々導かれることです。