徳山教会のクリスマスイルミネーション、また投稿します。
そしてこちらは本日の献花です。
本日も、徳山、柳井、防府では礼拝が行われました。
徳山は礼拝後、トマトパスタの愛さんを頂きました。
町中もクリスマス一式、教会はもとよりクリスマスの日に向けて
待降節の時期を過ごしています。
来週も礼拝は以下の日程で行われます。
どなたでもご自由にお越しください。
12/6(日)
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
12/3(木)には、
益田14:00~
六日市19:30~です。
本日の説教要旨です。
【ルカ福音書3章1-6節】
週日教会を利用される方々は、様々な用途で教会を用いられます。看板をじっと見る人々。聖書を開く人々も中にはいます。先にも一人が聖書を開き「凄いですね」と感想を漏らされました。聖書には人名や事柄が列挙されています。聖書の敷居を高めるかもしれない。今日の聖書冒頭部分も人名が羅列されています。これらの人物は主と同時代の人で、中には主の十字架の原因、遠因の人々が記載されているのです。
ティベリウスは時の皇帝、ヘロデとフィリポはユダヤの地方領主です。やがて弟フィリポの妻をヘロデが欲し、洗礼者ヨハネに非難され、ヨハネはそれが元で斬首されます。ヨハネの死後、主への注目が厳しさを増すのです。そしてアンナスとカイアファはその宗教団体の取締りでした。これらの人物が職に就いている時、ヨハネも活動開始したのです。「主の道を整えよ」と。冒頭の事実の列挙は、神の救いの歴史とこの世の歴史とが重複していることの証しです。
ヨハネは後半でイザヤ書を引用します。中に「谷,山,丘,曲道や凸凹道」があります。ヨハネはユダヤの世相や、厳しい世に生きる人を想起しつつ、これを引用したのです。「谷山の道を行くような人々、曲道や凸凹道に困惑する人々」を想起するのです。そして「主の道を真っすぐに」。困難な道でも主へと通ずる道は真っすぐにと訴えるのです。それらは私たちへの言葉でもあります。「主へのまっすぐな心」はなかなか持ちえません。
何度も言うが、聖書や主は私たちを困らせないし、望まない。主は別福音書「私が道」と言われます。私たちの道は主と共なる道なのです。聖書は、人名の記述を通して、主に多くの人が関わったと記す。私たちの歩みもまた複雑で多くの人が関わるものです。その中で神は相応しい時期に人を介し、主との出会いを備えられるのです。