礼拝後、徳山では、帰省した会員ご家族の「賛美ダンス」が披露されました。
来週も礼拝が行われます。今週から、益田、六日市礼拝も再開されます。
今週の礼拝メッセージです。
【マタイ福音書2章1-12節】
年の初めの日曜日は顕現主日です。顕現とは、神さまがみ姿を表す意味です。私たちは、今年もその一年を心から願います。だが聖書は悲惨な物語への序を記します。ヘロデ王が登場しますが、歴史的事実は血の香りがつきまとう王でした。前王朝に仕える武将で、武功が顕著で皇女を娶り、子を為します。所が途端に羊の皮を脱ぎ捨て虐殺を始めます。姑、義理の弟、子、妻を殺し、前王朝を排し、新王として即位します。
親族や子どもを殺めてまでヘロデが執着したのは、自らの血統のみでした。そのヘロデのもとに不穏当な知らせが東方の学者たちによってもたらされます。「新たな王の誕生」ヘロデ王と住民の不安が記されています。王の不安は自らの地位崩壊への危惧で、住民の不安はとばっちりへの恐れです。そもそもなぜ学者たちはエルサレムに行ったのか。
東方から見て、ベツレヘムと王のエルサレムとはほぼ同方向ですが、明らかに別方向です。だが博士たちは導きの星を見失ってヘロデに面会したのです。ヘロデの猜疑心に火を付けたのです。ヘロデ王の神殿宗教者も誤ります。彼らの進言は「偉大な王がベツレヘム誕生」だがミカ書の原典「小さな王が生まれる」なのです。博士たちが猜疑心に火を付け、学者たちが着火剤を振りまき、結果ベツレヘム周辺の二歳以下の嬰児虐殺へ結びつくのです。
年の初めから血生臭い聖書の言葉です。しかし主はその地上に誕生なさったのです。神は目的地喪失の博士たちに再び道を示し、み言葉を曲げた腰巾着宗教者たちに主はみ言葉の真理を示します。年の初めの顕現主日。この一年の方向性を指し示す意図で私たちはみ言葉を聞きます。残虐さとは程遠くとも、道を見失い、方向性を誤る可能性の私たちがいます。その私たちに絶えず導きが共にある。謙虚に聞き従いたい。