2016年1月12日火曜日

1/10 礼拝と献花


 本日も、徳山、柳井、防府では礼拝が行われました。
 写真は、季節外れですが、コスモスの画像です。明らかに季節外れです。

 徳山では、礼拝後ちらしずしとみそ汁の愛さんが行われました。
 いよいよ本格的な寒さが訪れています。正月三が日の温かさは、やはり季節外れでした。

 来週も、礼拝は以下の日程で行われます。
 どなたでもご自由にお集まり頂けます。

  1/17(日) 
       徳山10:45~
       柳井10:30~
       防府15:30~
 1/14(木)には、
       益田14:00~ 
        六日市19:30~です。

本日の説教要旨です。



【ルカ福音書31522節】
聖書には、ヘロデという名の人が登場します。彼は特に洗礼者ヨハネの心に怒りの炎をともした人物でした。以前から、大規模公共事業によってユダヤの人々の物心を圧迫し、前王朝の係累であり自身の親族を粛清することで、人々から安心を奪取し、弟の嫁を所有することで尊敬の心を失います。ヨハネはヘロデに直言しますが、逮捕されます。

ヨハネの逮捕から時間をさかのぼり、聖書の場面は主の洗礼の箇所です。前半ではヨハネが洗礼を受ける主を紹介します。ヨハネによれば主は「脱穀場を清掃し、麦を蔵に収め、殻を火に投入」する方です。これはヨハネが主について語る言葉です。心を清め、良き実を増やし、悪しき心を焼く。ヨハネは自分自身が領主ヘロデや当時の人々の心に厳しく迫りました。しかし強い言葉は、相手の耳には届くのですが、その心には届かないのです。

主はそのように、語気荒く世間に訴えることも出来ました。私たちがこの福音書を読み進めれば主の怒りの箇所を見つけることが出来ます。「不幸だ」と主は驚くような言葉でファリサイ派を非難します。主もその怒りを抱きつつ、やめてしまうのです。その代わり、主が一人で神の怒りを引き受けます。それが主の十字架ということなのです。

 主は本日の聖書箇所の洗礼で、罪びとである私たちの仲間入りをしました。本来私たちは、自らの心である「脱穀場」を隅々まで清める必要があります。主もヨハネのような厳しさで私たちに接することも出来ました。しかしこれが恵みです。主は私たちを神のみ前に立たせず、ご自身がみ前に立ったのです。だから「聖霊と火の洗礼」は裁きのように思えるが救いなのです。十字架の主が復活し、聖霊降臨祭で私たちに力をくださったのです。私たちはこの恵みを自身が受け止めたい。そして隣人に伝えたい。