今年の暑さは、あまり懐かしみたくありませんでしたが。
こちらは彼岸花です。秋の草花の代名詞です。
受付横に飾られています。
本日は、周南市内の中学校で運動会とのことでした。となりの秋月中学校から、
8:45ごろに大轟音がなりました。運動会、やりますよという合図でしょう。
教会の礼拝はそれぞれ行われました。
今週、来週と以下のように行事があります。
9/13(火)徳山C聖書の学び
15:00~16:00
9/15(木)には、
益田にて、小浜礼拝13:00~
益田教会では 14:00~ 礼拝、
六日市礼拝 19:30~ です。
9/18(日)徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
いずれの礼拝、集会にもどなたでもご自由にお越し頂けます。
本日の礼拝説教のまとめです。
【ルカ福音書15章1-10節】
私は、本日の「見失った羊の譬え」で残りの99匹が気になります。「無くした銀貨の譬え」あと9枚あるじゃないかと考えます。皆さんは、聖書の羊の1匹と99匹、銀貨の1枚と9枚をどう評価するか。もともとイエスさまは、掛け替えの無い一匹,一枚として、更に誰もが「神さまのみ前での一人」として、聞き手であるファリサイ派に語ったお話しなのです。
まず迷子の羊の話です。一匹が行方不明になってしまった。居なくなって良いものではありません。99匹を残して一匹を探しに行きます。狼や山犬、略奪者からの脅威は考えない。兎に角一匹が大切だったのです。羊飼いを卑しい職として交流しないファリサイ派には理解が及ばないことです。ファリサイ派には、一匹の存在の価値が分からないのです。イエスさまは、この話を通して、どのような(不届きな)人でも、神さまの前での価値を語る。
そして銀貨の話です。私は短いこの話が大好きです。ドラクメ銀貨という通貨は、ローマのお金で、ユダヤでも通用だが異国の金銭です。後生大事に、通用するとは言え異国の金銭を持つこの人は何者か。異国から嫁いだ嫁でしょう。異国の両親は不意金として銀貨10枚を渡し、彼女は大切にする。一枚でも無くしたら大変なのです。異国の地で身一つで頑張るご婦人です。寂しい時には銀貨を眺め、故郷の山河を懐かしみ、両親を思い出す。異国人を蔑視するファリサイには分からないことです。神の眼差しには、どのような人も区別ない。
一匹を、一枚を大事にする話です。99匹の羊、9枚銀貨は確かに気になります。問題は私たちがそれぞれ「一匹だ、一人だ」と考えるときです。でも主がいます。そこで、迷い、居場所を無くす違う羊がいないか。私たちは、探し求める良い羊飼いやご婦人にはなれません。むしろ、不安な彼ら、彼女に寄り添う羊には成れないか。問われています。