2016年12月11日日曜日

12/11 礼拝と献花

チューリップ。もうすぐ春です(ただし、新春)。
 献花がいつも教会の皆さまによってなされます。
下を向いているのは、子どもたちにも花の香りを漂わせるため、とのこと。

今週から説教題も載せます。旅の中のマリア。

本日も徳山では礼拝が行われ、その後、愛さんも行われました。
本日は三色丼。卵、肉、コーンでした。

来週も礼拝は徳山、防府、柳井で行われます。

また今週も以下の集会があります。

いずれの礼拝、集会にもお気軽にお出かけください。

12/13(火)徳山C聖書の学び
  15:00~16:00


 12/15(木)には、
       益田にて、小浜礼拝13:00~
       益田教会では 14:00~ 礼拝、 
        六日市礼拝 19:30~ です。
 12/18(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~

本日の礼拝メッセージです。



【マタイ福音書11823節】
「正しさ」は、自分にとっての正しさが、全てではないことに気を付けることが必要でしょう。聖書時代の律法学者。彼らは「正しい」生き方を勧めましたが、彼らの教えの陰De、涙をぬぐう人たちがいました。自己満足の正しさは果たして本当の正しさか。今日の聖書はもう一つの正しさ、他者を活かす正しさを持つ、主の育ての父、ヨセフの話です。

主の母マリアの婚前妊娠が発覚しました。未だ関係がなかった当事者ヨセフにとって、どれ程の衝撃だったでしょうか。ヨセフの応対は、「表ざたにせず密かに縁を切る」というものでした。当時密かな縁切りは可能なものか。無理なのです。「密かに」とは、理由を内密にしたままということです。妊娠を隠しヨセフの個人的な都合を理由にするのです。妊娠を理由とする離縁なら、マリアに非難が及びますが、個人的理由ならヨセフが非難されます。ヨセフは、マリアとその幼子のために、泥をかぶり、育ての親となる決意を持つ。

婚前妊娠が理由の離縁は、律法的には正しい行為です。しかしマリアは石打刑(赤子もまきぞえ)で、他者の命を踏みつけることです。一方で、律法の規定では、ヨセフの理由秘匿は正しくないのです。ヨセフは揺れる。守るべきものは、律法か家族か、己の体面か家族か、自身か妻か。ヨセフは、自己を犠牲にし妻と子を活かすのです。父の愛です。

そう考えているヨセフに天使が訪ねます。ヨセフの選択は律法違反でしたが、だが神は共にいると天使は告げる。律法を破っても、神は共にあるということです。神さまの言葉に不誠実であっても、神さまは共にあるのです。神さまの祝福される正しさとは、自分だけの正しさを求めるのでなく、共に生きる、共に支えることを決断するものにあります。主はこのような父の薫陶を得て成長し、やがて十字架で私たちのために犠牲となるのです。