不思議な写真が取れました。撮った当時は夜ではなかったのですが、
周囲が暗く、花が際立つ写真です。
一週間で百合が開花するか。楽しみです。
クリスマス・イブ礼拝は、徳山では24日(土)18時から行われます。
どなたでも(無宗教、カップル、興味ある方)ご自由にお集まりいただけます。
音楽の演奏もあります。チェロとピアノ。
果たして「クリスマスは誰のもの」なのか・・・。
本日も徳山では礼拝が行われ、その後愛さんが行われました。
長年、寮や大学、高専などで食事のお世話をなさっている方の御振舞いでした。
炊き込みの味もお吸い物も、大変にすばらしいいい、味でした。
今週、来週とも、いずれの集会も礼拝もどなたでもお越し頂けます。
12/20(火)徳山C聖書の学び
15:00~16:00
12/22(木)には、
益田にて、小浜礼拝13:00~
益田教会では 14:00~ 礼拝、
六日市礼拝は、翌日のクリスマス礼拝に振り替えとなります。
12/23(金・祝)17:30から六日市クリスマス礼拝
12/24(土)は、18:00から徳山クリスマスイブ礼拝
12/25(日)徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
クリスマス礼拝、イブ礼拝、待降節礼拝が混在する一週間でした。
説教原稿は最大で、違うものが三枚挟み込まれている状況でした。
間違えないようにせねば・・・。
本日の礼拝メッセージです。
【ルカ福音書1章46-55節】
「マリアの讃歌」をポンと出されても、掴みどころがありません。前提を学ぶと、歌の深みが分かります。さて、場面は受胎告知の直後。と言っても距離があります。告知はナザレ、今日の舞台はユダの町。直線距離で100キロ。その距離をマリアは踏破したのです。道路や治安上、女性の単独旅行は非現実的に思えますが、一念で歩きとおしたのでしょう。
と言っても心の中には、心配事があります。それはお腹の子のことでした。出産の日を迎え、逆算し、結婚前の子だと知られれば大変です。祝いは消え、石打刑が待つのです。思い悩みつつ踏破し、親類のエリザベト宅に行くのです。するとエリサベトは挨拶と祝福をします。祝福とは、神さまの守りを告げることです。それをマリアは聴く。神さまが守って下さるとの思いは確かになった。歌う讃美歌が「マリアの讃歌」。自身を思って歌う歌です。
思いの確かさは歌の中の「イスラエルの受容」という考えからも明らかです。これは、旧約に登場するユダヤの民のことです。高慢故の失敗や頑迷、辛酸を舐めるのです。旧約聖書とは聖書の2/3.その1/3は神の恩寵、2/3は人の迷い。しかし神は人の迷いに絶望しない。一か月の旅の間、マリアは幼い頃から聞いた神さまの恩寵を思い出すのです。迷う人を神は必ず導く。不安は残るが、神の恩寵を確かに持ち、エリザベトの祝辞で確かになったのです。
神さまが、私を守って下さるとの確信に立てるでしょうか。出来る時も、できないときもあります。だからこそ私たちは、聖書のマリアの信仰を読む。先が見えない(全くその通りの状況でした)マリアは、それでも神さまの守りを信じていました。先行きへの確かな根拠はありません。それでも大丈夫、との思いをマリアは抱いていたのです。どんな時も一人ではない、神さまと兄弟姉妹がいる。それがマリアと私たちへの使信なのです。