お一人はご自分の勤務先の大学の卒業式で頂いたというお花。
華やかです。
もう一つは春らしいお花。
花の名前は良く分からないけれど、素敵です。
本日も礼拝と愛さんが徳山Cで行われました。
礼拝後には、西教区の行事で牧師と教会員は、大阪のルーテル教会に行きます。
今週も徳山、益田、六日市では以下の礼拝、集会が予定されています。
3/21(火)15:00 徳山 聖書を学ぶ会
3/23(木)13:00 益田 小浜礼拝
14:00 益田 元町礼拝
19:30 六日市礼拝
3/26(日)10:45 徳山 礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【ヨハネ福音書4章5節-15節】
聖書に登場する「ヤコブの井戸」とは旧約聖書に由来があります。ヤコブは、次男でしたが長男の相続財産欲しさに、父と兄を欺いた人物です。自身の思惑で周囲を振り回し続けたのです。ただ神は、利己的なヤコブを顧み、旅中の渇きを潤すため、この地シカルを示した。そんな古事のある場で,逆に「人に振り回された」女性と主が不思議な形で出会います。
彼女は辛い過去を持つ女性です。当時、離縁に関して「夫が妻に恥ずべき所を見出したら」(申命記24:1-4)離縁してよいという決まりがありました。「恥ずべき所」とは、男性側の解釈で如何様にも捉えられる言葉です。不品行を働いて離縁される場合もあるでしょう。いい加減な理由で離縁することもあったでしょう。そして同申命記内に、女性側からの離縁切り出しについて述べている箇所は無い。女性の存在は軽視されていたのです。
五回の離婚を経験しているのがこの女性です。理由は不明です。初回の結婚当初から、男性たちの我儘に振り回されたのが彼女でした。道徳を重んじるサマリアの人にとって、彼女の行いは容認できるものではありませんでした。結婚した男性の方にも責めるべきことはあったでしょうが、申命記の記述故に、同郷の人々、特に女性から疎遠にされ、同棲の男からは正式な結婚約束を交わしてもらえない、人の情けと程遠い所に居る彼女です。
「水を飲ませて下さい」と主は彼女に頼みます。実際主は「渇いていた」のですが、それは同時に、彼女に自身の心身の渇きを話させる契機の言葉「誘い水」の言葉でした。主と彼女の問答は複雑ですが、15節で彼女は主のお心通り、自身の孤独と渇きを告白します。自分自身の状況を包み隠さず述べることが出来たのです。私たちにとって、「生きた水」とは何でしょうか。①神さまから託された恵み ②その水を互いに分ちあうこと です。