感謝です。
こちらが本日の献花。
今週も徳山、益田、六日市では以下の礼拝、集会が予定されています。
3/14(火)15:00 徳山 聖書を学ぶ会
3/16(木)13:00 益田 小浜礼拝
14:00 益田 元町礼拝
19:30 六日市礼拝
3/19(日)10:45 徳山 礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【マタイ福音書20章17節-28節】
主の受難予告の後、ある母が息子たちの栄達を願いますね。息子たちを思う母心を見て取れます。母とされた者は、幾つになってもその子を案ずるものです。一方で、神さまも我が子主イエスを案じています。だが神さまは自らの子を活かさず、一旦は十字架に引き渡すのです。四旬節という教会暦のとき、まず覚えたいことが神と私たちとの違いです。
だが他の弟子たちはこの母子に立腹。何に腹を立てたのか。この憤りは何が理由か。抜駆けの栄誉獲得宣言でしょうか。苦難を受け得ると明言した二人への焦りでしょうか。母が願った、母に願わした点でしょうか。主の受難予告後の身勝手な発言への憤りでしょうか。断言はできず可能性の一つを挙げているのですが、そのどれもが真なのでしょう。
しかし主は、仕えるという自身の姿勢を最後にお話になります。実はこの母は、聖書で味わい深い場面に再登場します。主の十字架時、主の最期を見届ける眼差しの中の一つなのです。この母の心は如何でしょうか。大言し、そこに居ない息子への恥の心でしょうか。十字架上で、このような母の心を主もご存じだったのです。復活後の主は、その御用のため二人を整えて行きます。やがて盃を(殉教)飲む二人。整えられていったのです。
教団讃美歌510は、母の日の讃美歌として知られていますが、これは実は史実に基づく讃美歌です。息子の放蕩や我儘や不品行を見兼ねたある母が、教会の神父に涙ながらに相談します。すると神父は「あなたの涙の子は滅びない」と力強く母に告げるのです。「涙の子は滅びない」皆さんの、涙しつつ祈る対象は決して滅びることはありません。主の守りの中で今日と言う日を生き、今週の日々を過ごすのです。だからこそ私たちも、主が勧められた「仕える」つまり、身近な所でお世話するという働きの一つに加わりたい。