朝移した写真ですので、日光は礼拝堂には差し込んでいません。
8/12 徳山礼拝の献花です。
夜移した写真ですので、何か厳かな雰囲気が漂っています。
1 本日の礼拝には、Nさん、Mさんから欠席の連絡を頂いていました。
2 大阪柏原からの帰省されたご家族が、本日の礼拝には集われました。
3 8/13-31まで、徳山礼拝所が、西日本豪雨災害のボランティアセンターと
して稼働を始めます。
今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。
8/13 月曜日 牧師 呉の被災地で奉仕
教会員3名とも協働
8/17 金曜日 牧師 倉敷の被災地で奉仕予定
8/18 土曜日 13時 益田市小浜礼拝 しばらくの間休会といたします。
14時 益田教会礼拝
19時 六日市礼拝
8/19 日曜日 11時00分 益田合同礼拝
礼拝後、バーベキュー
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
【マルコ福音書6章6-13節】
数年前、森勉牧師がご召天になられました。その御伴侶は若い頃、柳井Cにて牧師と共に生活しておられました。戦後間もない頃、牧師家計も十分ではなかったそうです。しかし「困ったな」と思う時に、かならず「米、おかず、野菜」などの差し入れがあったそうです。その事柄は、今この徳山、柳井Cでも私自身が実感している事柄です。「神さまは、今の私に必要なものを必ず備えられる」その事柄が今日の聖書で語られます。
主が、弟子たちを各所に送るというのが今日の聖書。送る際、弟子たちの手には一本の杖のみが持ち物として託されます。その他、およそ旅に必要だと思われるものは全て、持って行ってはいけないものとされます。私たちの日本では「備えあれば憂いなし」の言葉があるように、出来るだけ備えて行くことが肝要とされています。「何とかなる」という事柄は分かるのですが、その根拠がない所に、小心者の私などは不安を覚えます。ただその不安は、「滞在中」の教えで幾分かは和らぐものとなるのです。
立ち寄ったら「一つの家に留まる」とは、一つの家に自分なりの誠意を尽くすということです。「足の埃を落とせ」とは、無理をしないということです。つまり「無理をせず、自分なりに出来ることをする」。それが、一週間という「旅」に出る私たちへの言葉なのですし、各所に送るに際して弟子たちに向けられた主の言葉なのです。そして「悔い改めを告げる」とは固い表現です。要は「神さまがあなたと共にある」ということです。
弟子たちはそのように、神さまの愛を告げる旅を「無理せず、自分なりに」行うものとされていきました。旅から帰った弟子たちは「休むがよい(6:31)」の言葉を頂いて、主のもとに集います。一週間の私たちの「旅」の過程で、必要なものは必ず備えられるのです。「備えられない」と思える時は、もしかしたら「備えられない」ことが大事なことなのかもしれません。「神さまは別の方法を指し示している」という答えに繋がってくるのでしょう。主は私たちと共にあります。そして私たちを通し周囲に働かれます。