2019年7月10日水曜日

7/6.7.8 礼拝と集会(西教区女性会 地区連絡会)

  7/6(土)柳井Cの礼拝堂です。
 礼拝堂清掃や献花が、礼拝に集われる方々によって行われていること感謝です。
  7/8(月)西教区女性会の、西中国地区 地区連絡会が行われました。
 場所は柳井C。20名強が集われました。
その柳井Cの敷地内。柿の木は渋ですが、妙手な渋抜き(ドライアイス)で
 熟柿になります。

今週の教会、牧師日程は以下の通りです。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

7/10 水曜日 19時 六日市C礼拝

7/13 土曜日 15時 柳井C礼拝
 
7/14 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝


7/16 火曜日 15時 徳山聖研

7/17 水曜日 19時 六日市C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。



ルカ福音書 9章18-26節
「神さまはあなたを愛している」これが礼拝で常に語られることです。その礼拝で私たちは、愛の応答の一つとして「信仰告白」を「古典信条」を用いて行います。私たちの信仰は、私たちの独断ではない。「私」は2021世紀に生まれた者ですが、その私は長年の教会の歴史に連なり、主や古の信仰者に結ばれていることを「古典信条」は私たちに語り掛けるのです。その「古典信条」の一つ「ニケア信条」は、主についてをこう定義します。「光(から)の光」と。主がまことの光として、この世と私たちを照らすのです。

「信仰告白」は、今日の聖書にも出てきます。今日の聖書の前提は、主の噂がユダヤ中に広まっていたことです。主や弟子たちが活動していたユダヤ北部の出来事が、時の領主ヘロデの耳に至るまで広まっていた。具体的には以前の「蘇生」の奇跡や時の宗教者への毅然とした態度から、預言者や洗礼者ヨハネの再来という噂でした。その中で主はペトロに、ご自身について問う。答えたペトロは「あなたはメシア」と、立派に答えます。

ところが、「メシア」である「救い主」の内実は、主とペトロ(および当時の人々)との間にギャップがありました。ペトロや当時の人々は、「善政を敷くメシア」を期待した。一方で主のほうは、「厳しい苛政、現状であっても支えるメシア」を意図したのです。そもそも主が「苦しみを受け、排斥され、殺される」理由は一つ。「立場の低くされた人」と共に在り、その方々に神の愛を語ったためでした。主はそのような生き方を、聖書のこの話以降も続けられます。それが十字架に至る道であっても、「自分の十字架を担う」主なのです。

「自分を捨てよ」と聖書は語ります。ところが、「捨てられない」姿をこの後、ペトロは「裁判と鶏鳴」で示すのです。袋小路に誘うような主の言葉です。自分の人生の担い主は自分だけという思いを捨て、主が十字架を共に担うと新たに思いたい。あなたを愛する神さまは、あなたの人生を担う方でもあります。人生の過渡期で「闇」に立ち尽くす時、「光からの光」である主が、迷う私たちを導くことを覚えたい。そして隣人を思いつつ生きたい。