こちらは2/16の防府礼拝所の梅です。
こちらは、2/23の徳山礼拝所。受付にアルコール消毒が置かれました。
こちらは、2/23の徳山の礼拝堂。
本日は、西日本福音ルーテル教会所属ののご夫婦が礼拝に集われました。
今週、来週の予定は下記の通りです。
2/26 水曜日 19時 六日市礼拝
2/28 金曜日 聖書を学ぶ会 於:徳山
2/29 土曜日 15時 柳井C礼拝
3/1 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
15時半 防府C礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
【マタイ福音書 17章1-9節】
次の水曜日から「四旬節」に入ります。主の十字架と復活を思い起こす時となります。人間という、様々な限りを持つ者には無理な「受苦と新生」を、主はその身において実現なさいました。主が、人の子であり神の子であることのしるしでした。今日の聖書は主が「神の子」であることを明らかにします。そしてこの「主の変容」は、「栄光から苦難」を表すと同時に、「苦難から栄光」を現す主の十字架と復活を先取りする出来事なのです。そしてその「変容」は、主ご自身のみのことでなく、私たちにも関わる出来事となります。
「六日の後(1)」という言葉で聖書が始まります。主の受難予告と、諫めるペトロ、叱責する主の出来事の「六日後」でした。神の天地創造の六日目の御業は人間の創造。それと重ね合わせるならば、弟子たちの「再創造」という所でしょうか。叱責されたペトロを含む3人の弟子たちは、山上で主の容姿が変わるのを見ます。「輝く」姿は、神であることを示すものでした。舞い上がるペトロは「聖所」を三つ建てることを進言するのです。
ペトロは主に、栄光のまま留まって欲しかった。恐らく青銅の蛇像を持つモーセ、ラクダの毛衣を着たエリヤと共に、神の崇高さに留まることを願っていたペトロでした。それが直前の主による叱責の理由でした。そうです。主は栄光に留まることは無い、「死者の復活(9)」の言葉を通して、改めて(16:21)ご自分の十字架を弟子たちに覚えさせるのです。受難と復活を弟子たちに覚えて欲しい主の思いが、「6日後」に起きたのでした。
主の十字架は、ユダヤの祭りの「過越祭」の時に起こりました。これは「死の天使が過越す(出エ12章)」ことを記念した祭りでした。その古事の通り、主は自らの前に置かれた「死」を過越し、今なお復活の主として私たちを導くのです。私たちにはいくつもの「過越し」を願う祈りの課題があると思います。「憎しみ、分裂、苦難、病」など。神としての主は、私たちの祈りの課題が何であるかをご存じです。また人としての主が、悩みつつそれらを抱える私たちと共に歩んで下さるのです。そこに確信を置いて日々を生きたい。