5/2の柳井礼拝堂。
礼拝堂で賛美し、祈って帰りました。
連休中のコンクリの花。少し増えて来ました。
2020.5.8
シオン教会に結ばれている皆さま
主のみ名をたたえます。
それぞれの所で連休を過ごされ、また日常生活を始められたことと思います。穏やかにお過ごしのことと思います。
さて、コロナウィルスの感染防止のため、5/9柳井、5/10徳山と防府、5/13の六日市での礼拝も、ご家庭において守って頂くよう、お願いをいたします。
日本福音ルーテル教会総会議長の「5/2議長談話」では、政府が「緊急事態宣言」を発している状況下では礼拝の自粛が望ましいという見解が記載されていました。しかし山口県・島根県においては、5月末の「期限前解除」の可能性が報道される状況となっています。
また、「5/6議長談話」においては、いわゆる「新しい生活様式」が紹介される中で、それを踏まえた「礼拝のあり方」を考えることが望ましいという示唆がなされました。これらを踏まえて、シオン教会としては、以下の決定をいたします。
1 5月31日までの、各チャペルでの礼拝を中止し、家庭礼拝を継続して頂くこととします。礼拝再開を望まれていた皆さまと、礼拝に於いてお会いできないのは残念ですが、ご理解を頂ければと思います。
2 この期間を通して、それぞれのチャペル(礼拝所)にあった形での「礼拝のあり方」を、共々に考えるときとしたいと思います。来週のお手紙に同封しますので、お考えをお寄せいただければ幸いです。
「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」イザヤ56:7
【ヨハネ福音書10章1-16節】
イースター以後、私たちは「復活節」を過ごしています。聖書は「十字架を越え、新たな命に生きる主」を語り続けますが、「この世」に生きる私たちは、喜びどころではない現実に生きています。言うまでもなく今回の「コロナ騒動」に由来するものですが、仮に「コロナ騒動」が無くとも、私たちの日常生活は楽ではないと思います。決定的な違いは、教会という場が開かれているか、否かの違いと察します。それは私も強く思うことです。
詩編133篇に「見よ、兄弟(姉妹)が共に座っている、何という恵み、喜び」の言葉があります。教会という「囲い」の内側に有る時には普通でも、今日は特に実感できる言葉であると思います。今日の聖書であるヨハネ10章は、9章からの連続話です。主に従うことを宣言し、それによって追い込まれたある人が出てきます。この人は町、自分の共同体からも追い出されます。いわば突然に、自分自身の「囲い、所在をなくした」のです。
主はこの彼との関わりの中で、「羊」の話を始めます。聖書に多く登場する羊という動物は、主の話の中では「囲いの中で(1.7)、個別の名を持ち(3)、羊飼いの声を知るもの(4)」として描かれています。羊は人間のたとえです。一方で「盗人や強盗(1)、羊のことを心がけていない雇人(12)や狼(12)」が何を意味するか。彼らの本質は羊たちに物理的損害、心理的脅迫を与えるものです。主はその危機の中で、「良い羊飼い」としての羊たちへの導き(11)、「私は自分の羊を知っている(14)」と告げられるのです。
つまり「わたしの苦悩、あなたの苦悩」を知る主が居て下さる。そして、私たちが教会という建物の外側、「囲いの外」に居るとしても、心情的に主から離れている時でも、主は言われます。「私には、この囲いに入っていない他の羊もいる(16)」と。何という言葉でしょうか。境界線や区別の線、自粛や遠慮、禁止など私たちは今日、多くの事柄によって分たれています。家族が都会に住む方は、なおさら実感として感じていることでしょう。だが、主の愛の眼差しは、「囲いの外」にも向けられていることを思い、日々を過ごしたい