柳井の礼拝堂、手は教会員さんです。アジサイの花と思われます。
徳山の「ど根性…花」コンクリートの隙間から生えています。
今週、来週の礼拝は記載の通りです。
礼拝日時に変更がある教会があります。ご留意ください。
6/10 水曜日 19時 六日市礼拝
6/12 金曜日 聖書を学ぶ会 於:徳山 牧師室ではなく集会室で行います。
6/13 土曜日 15時 柳井C礼拝
6/14 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
15時半 防府C礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
【マタイ福音書28章16-20節】
「神のワルツ…」との説教題は、「三拍子(ワルツ)」が、三位一体論の周知を為すため生まれたことに由来します。14世紀の教会は、神学と共に、音楽によって教理を知らせたのです。さて、マタイ福音書が主の復活に際して「強調する事」があります。それは「原点回帰」という、弟子たちへの主の思いです。墓の中の若者や主が告げた通り、弟子たちは故郷「ガリラヤ」に帰り、「主が指示した山(19)」に上ります。どの山か、どこかとは示されませんが、主が語ることは「神があなたと共にある」という約束の言葉なのです。
「山」とは、旧約聖書では「聖なる方との出会いの場」でした。その例に倣い、主も弟子たちに指示し、弟子たちは従います。が、ここでの弟子たちは一部に「疑い(17)がありました。どういう疑いか。主の復活の直後、怪しいデマ「弟子たちが主の遺体を盗んだ(11-15節)」が飛び交う。この福音書では、復活直後の弟子たちは主に会っていません。真の主か、違うのか、何かの策略か。弟子たちの一部は疑心暗鬼だったのです。
聖書は2000年前の書物ですが、つくづく人間の心に差異はないと思わされます。直前の11-15節には、祭司長という「権力者の横暴」、「従わざるを得ない兵隊」、今日の箇所でも「周囲の状況に流される弟子たち」「疑心暗鬼」。それは主の時代に限らず、人間社会の本質のようなものなのかもしれません。しかし、それをあえて書き記すこと、そのような人の「本質(罪)」の部分を主が見て下さることこそが、聖書の要点なのです。
「大宣教命令(19-20)」です。「キリスト教を拡大し、伝道してゆこう」という命令に聞き従った先人たちの故に、今日の私たちがあります。さまざまな先人たちがいます。偉大な改革者も、市井に生きた人もある。誰にも等しく与えられていたのは「神があなたと共にいる(With you)」の言葉でした。その言葉を受けて、一人ひとりがその思う所を行ったのです。今日、「コロナとの共生(with corona)」の中で、「主が共にあるように(may Lord be with you)」の言葉を、それぞれのやり方で語り、行うものでありたい。