2020年6月23日火曜日

6/17.20.21 礼拝堂と日食


6/20の柳井C礼拝堂です。
会員の誕生会が行われました。
6/21の徳山C礼拝堂です。
イスの間隔があいています。
こちらは6/21の防府C礼拝堂です。
骨折していた会員が退院したとの知らせを、皆で喜びました。


その防府から帰った6/21 17時ごろ。IPADに頑張ってもらって、日食中の太陽を撮りました。が良く分からない。太陽の左下の青いものも、よくわからない。

シオン教会では、6月から、それぞれのチャペルでの礼拝を再開しました。
 また、変わらずに郵便での「家庭礼拝送付」も続けています。
 お入り用の方はご連絡ください。

今週、来週の礼拝は下記の通りです。

6/24 水曜日 19時 六日市礼拝 

6/25 木曜日 15時 牧師 広島出張

6/26 金曜日 14時 聖書を学ぶ会 於:徳山 
       牧師室ではなく集会室で行います。 

6/27 土曜日 15時 柳井C礼拝 

6/28 日曜日 10時45分 徳山C礼拝 
       15時半  防府C礼拝
 
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。

マタイ福音書1024-32

 私たちがこの年、読み進めるマタイ福音書は、特に旧約聖書の思考、土壌を強く受け継いでいると言われています。その表れの一つが福音書冒頭の「系図」。聖書を開く者に、まことのユダヤの血筋としての主の誕生を伝える意図がある。その旧約の神さまの描かれ方は「怒り(民数記など)、妬むお方」となります。これらは、神さまの愛の「裏返しの表現」なのですが、それが特に今日の主のお言葉の中に含まれてもいるのです。


 今日の聖書は、主が弟子たちを派遣する脈絡の中に置かれています。この福音書では、弟子たちはおそらく個々に遣わされるものと思われます。それは私たちの姿とも重なります。今私たちは、主のみ翼の陰にやすらう「群れ」、しかしこの世では、時に「暴風」の前に散らされそうになるものです。その私たちに、2425節が告げることは、「背伸びをすることなく、自身の本分に留まる」こと、師である方を超えないという勧めなのです。

 

 ただ主のみ教えが、26節以降になると変わってきます。初めの「神の怒り、妬み」を彷彿とさせる教えに近づきます。「人々ではなく神を恐れる26節~)」「主を否まず、仲間であると公言する(32節~)」「家族ではなく神を第一にする(36節~)」。全体的に言えば、この世ではなく神と主との絆に生きるというものです。主の時代ならばともかく、4世紀までのキリスト教迫害時代にはどう受容されたか。そして、今日の「成熟した社会」に生きる私たちには、このような「宗教原理主義的」な生は、誤解の源となるでしょう。

 

 神さまの愛の、表現の方式は時代や背景によって異なるものです。「2000年前のユダヤにはユダヤの、今日には今日の」伝え方があるのです。特に私たちが注目したいのは、スズメに関する(29-31節)教えでしょう。一羽では無価値とされるスズメが、個々に派遣される弟子に例えられる。その一羽、その(髪の毛の)一本、その一人を世の中は無価値と評するかもしれない。そうであっても、神さまの愛は一羽を、一人を、あなたを離さないと言われるのです。さあ、この週の歩みも始まります。愛に留まる群れでありたい。