12/15(火)先ほど撮影した徳山の礼拝堂となります。
例年の「紫」に加えて「白」を加えて頂きました。
アドベント(紫)から降誕(白)に向かいつつあります。
徳山の町は、駅前通りのイルミネーションに力を入れています。
12/20 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
15時半 防府C礼拝
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ ヨハネによる福音書 1章6-8、19-28節 (新約聖書163ページ)
■ 説教 「深みを増す闇の中で」
キリスト教系の施設で「ベタニア」をその名称に入れている法人はいくつもあります。聖書の「ベタニア」は直訳で「貧しく、病む者の家」という意味です。今も昔も、それぞれの人生の出来事の中で、支え合いながら生きる人々の共同体を意味する名称です。この名の村は聖書で少なくとも2か所、確認されています。一か所目はエルサレム近郊のベタニア(ヨハネ11章)、もう一つは日課に登場の「ヨルダン川沿いのベタニア(28)」となります。
現在は観光地となっている「川沿いのベタニア」は、地図では死海への河口付近となります。今の言葉で言うならば「地表で一番低い位置の村」そこにヨハネが登場します。その目的は「主イエスを証しすること(6-8)」でした。「証し」の内容は、「罪の赦しとしての洗礼を授けること」でした。後年主イエスは、「いかなる“罪人”も、神さまは無償で目を注ぎ、愛する」と伝えましたが、その主の思いを先立ってを紹介するのがヨハネでした。
ところが、そのヨハネの働きに不満を感じたのが「エルサレムのユダヤ(19)」教指導者たちでした。彼らは「祭司やレビ人(19)」を派遣し、尋問します。建前は「赦しの権威」の確認。ヨハネは「メシア、或いはエリヤやモーセ(21)」の再来かと確認されます。内実は「高い人気の嫉妬」「収入低下」への懸念もあったでしょう。言葉のやり取りの中で、ヨハネは主を証し(26-27)します。そしてこの福音書で、主イエスもベタニアに登場するのです。
ヨハネ福音書には、ルカのような「抒情的」なクリスマス物語はありません。でもしヨハネ福音書の記述も、クリスマスの一面を言い当てています。ヨハネ福音書で、主イエスは悩み、病むものが住み、「文字通り低い」ベタニア村に来られ、公生涯を始められた。これも「クリスマス」ですね。日没が早くなっています。色々と「深みを増す闇」の中にいることを思います。そこにも主が居られ、私たちと顔を合わせ(悔い改めの前提)ることを覚えたい。