こちらは、12/20(日)の防府の礼拝堂です。
クリスマス礼拝でしたが、暦上はまだ紫にしています。
「白」の天布が、ストーブの熱気で踊っていました。
12/27 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
15時半 防府C礼拝
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ ルカによる福音書 1章26~38節 (新共同訳聖書、新約100ページ)
■ 説教 「あるがまま、の歩み」
「イエスの母マリア」の聖書の物語からひらめきを得た歌曲は、多くが残されています。ルーテル教会で言えばバッハの曲。20世紀で言えばビートルズ、「Let it be」という曲がそれです。マリアの「お言葉通り、この身になりますように(38)」との信仰の言葉が、日本語で「あるがまま、そのまま」、英語では「Let it be」と訳されています。では、マリアの唇からこの言葉が生まれ出た背景とは何だったのか。神さまによる、2つの助けを聞きましょう。
「6か月目(26)」とは、親せきであるエリサベトへの受胎告知から数えてとの意味です。唐突な表現ですが、これはエリサベトとマリアのきずなを思い起こさせるものです。この世の身分も年齢も違いましたが、ここに「一つ目の助け」を見出すことができるのです。神さまは、人を通してその導き、働きを行うことです。結論を急がず、「6か月目」に起きたのは何か。マリアへの受胎告知、これはマリアにとって「おめで(28)」たくない出来事でした。
最悪の事態は、石による衆人からの裁き(ヨハネ8章)でした。ごく、楽観的に考えても未婚の14歳の母としてナザレ以外で生きる。それが天使(ご託宣、み言葉)の語る事による未来予想でした。「なぜ、どうして私が」という疑問符は29節「戸惑う」、34節「どうして?」で繰り返されています。ただ、マリアに対し天使は誠実に答えています。「戸惑い」には「神の子があなたを守る(33)」、「どうして」には「エリサベトの妊娠(36)」が答えなのです。
天使の言葉で、マリアは自身も「神さまの守り」の中に居ることを確信した。また「エリサベトの妊娠」で、マリアには彼女の所に行く思いが備えられた。妊娠初期にも、後期と出産の以後にも「事柄」に伴う移動によって、彼女は衆目から守られたのです。マリアを守り、導く神さまのみ手があるから、マリアは「あるがまま、そのまま」と語ったのです。神さまは、様々に私たちの「道を整え」られる方です。その確信の中で「あるがまま」に生きたい。