5/15 徳山チャペル礼拝堂です。
朝の空気はひんやりと涼しいのですが…。
5/15 防府チャペル礼拝堂です。
昼過ぎになると、気温がぐんぐん上昇します。
5/14 柳井チャペル礼拝堂です。
緑に囲まれている柳井の礼拝堂は、午後礼拝でも涼しいのですが…。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
5/18 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
5/21 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
5/25 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
5/28 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ ヨハネ福音書13:31~35 (新195)
Gospel of John13:31~35
31さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。
32神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。
33子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
34あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
■ 説教 「明けない夜は無い」
聖書の直前に「夜であった(30)」とあります。ヨハネ福音書は、所々で登場人物に、時間や季節を重ね合わせます(3:1夜、10:22冬)。この場合の「夜」は、主の弟子たちの心境。13章ではペトロの離反(21)、ユダの退出(30)という、裏切りの予告/現実が起きていました。主がなぜこの告知をなさるか、弟子たちには「試練」と想えども、真意が計りかねたでしょう。これは「試練」に対し、神がゴールを示すという「救い」を語る箇所なのです。
31節を見てみましょう。ユダの裏切り、迎える十字架での死は、主にとって敗北でないと言われます。それは「栄光」であり「すぐに(32)」起きると言われます。33節で弟子たちに「共にいる」と告げ、「私を探すだろう」との言葉があります。この後弟子たちは逃げ去ってしまいますが、その時でも見えざる主は「共にいる」のです。では、なぜ「栄光」なのか。その主のお言葉は、「主が行かれる所(33)」を深めることで、その意味が示されるのです。
行かれる所は「十字架」に続く「陰府」、ユダヤの伝統的死生観が語る「死後の世界」です。私たちの暦で言えば、金曜から日曜の朝まで、主はそこに滞在されました。しかし主は「復活」をされました。そのことを通し、陰府には最早、行かなくても良いようにされたのです。だから弟子たちも私たちも「来ることはできない(33)」のです。主は「暗く閉ざされた場」ではなく、「安らぎの場」への希望と実際を「神の栄光」として用意されたのです。
主は新しい掟として「互いに愛し合う(34)」ことを告げられます。「古い掟(十戒)」との共通点は、神や主と私たち人間との結び付きです。相違点は、十戒の「熱情(妬むほどの愛)」に対して、主の掟は「主からの存分な愛(35)」です。「明けない夜や、止まない雨」に比するような経験は私たちの日常に起きています。しかし、主が私たちを孤独にさせません。今の試練には「明けない夜はない」のですし、やがて「永遠の安らぎ」に行くのです。