長らく、六日市チャペルの礼拝の場所として用いていた書店が、
3/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
3/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝 ※家庭礼拝となります。
19時 日本福音ルーテル教会 按手式 於:東京
3/5 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
3/9 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
3/12 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
3/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
3/17 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■ マルコ 8:31~34 (新77)
■ 説教 「一緒に歩こう」
使徒言行録前半には、弟子ペトロの姿が書かれています。ペトロは主イエスの召天後、教会の中心となりました。ペトロ活躍の時代と、福音書の資料収集の時代は同時期でした。自身の姿を改めて述べる機会も、余人が語る自己像を修正することも出来たと思います。しかしペトロは、主に導かれ、赦された者として、自身の姿を赤裸々に語ったのです。
直前でペトロは主を「メシア」と呼びます。「良い政治家」を、ローマ皇帝の直轄地で期待していたことになります。「意気を示した」と言えます。ところが今日、ペトロは主の受難宣言(31-32)を諫めます(33)。ペトロにとって「良い政治家」が敵対勢力を作り、殺されるのはあり得ないのです。認識のずれから主はペトロを「サタン」「退け」と言われます。
日本語では強烈な言葉です。しかし「サタン」とは神の家来で、「退け」とは「後ろに回れ」です。主の自己理解の原型はイザヤ40章「苦難の僕」でした。困難の渦中で、神を共に仰ぐ信仰が語られます。「サタン」「退け」という厳しい言葉から「破門」を想像しますが実は、「理解を新たにして従う」という勧めです。後年、ペトロはこれを証言したのです。
34節以降の主の厳しさに、ペトロは何を思ったでしょうか。マルコは、主が十字架を担う場面にこの箇所を解釈させると考えます。15章21節で、兵士たちは主の十字架を他者、キレネ人シモンに担がせます。鞭の直後ですので、担えないと判断したのでしょう。担えない物を他者が担う、私たちには主ではないでしょうか。ペトロの、今に至る指針なのです。