7/1(火)、病床洗礼式が、周南市の徳山中央病院、「救急・救命室」で行われました。
ご夫君は治療中です。ご夫君、ご伴侶ともども受洗されました。
祈りながら日々を送る方々に、また医師・看護師・病院関係者に、癒しを祈ります。
写真は7/8(火)徳山礼拝所の朝です。
7/5(土)六日市礼拝所の方から頂いた「ノンアルコールビール」です。
切干を頂きながら。体にすっとしみこむ炭酸のおいしさです。
防府、柳井とも、教会員が冷房を入れてくださっています。
写真は簡易聖餐・洗礼用具。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
7/9 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
7/12 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
7/16 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
7/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
7/20 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
7/6(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。
聖霊降臨後第4主日 説教
ルカ福音書10章1-4.16-20節 「大丈夫、戻れます」
水原一郎
① 本日は、聖霊降臨後第4主日です。主イエスが72人の弟子を2人ずつ遣わし、神の国の福音を伝えさせた場面を読みました。繰り返される「神の国は近づいた」という言葉を通して私たちは、主が今もご自身の働き人を必要としておられ、私たちを用いるということを受けとめます。
②
主イエスは弟子たちにこう語られました。「収穫は多いが、働き手が少ない」。ちょうど今、日本の各地では稲が力強く伸び、あと二~三か月もすれば実りの時を迎えます。しかしその現場では、「田んぼの後継ぎがいない」「働きに見合わない」といった声が深刻さを増しています。このような現実と重なるように、主イエスもまた、「収穫が多く、働き手がいない」という事態に対して、深い憐れみと切実さをもって語られたのです。ただし、主が言われる「収穫」とは、稲や作物のことではありません。それは「神の国の知らせを待っている人々」のことです。見過ごされている命、迷い悩む人々、そしてその人々に差し出されるべき福音の手。そうした魂に神の優しさを伝える働き人が足りない。それが主の痛みであり、今も変わらぬ現実なのです。
③
72人という人数は、創世記10章に記される「ノアの子孫」、すなわち全世界の諸民族の象徴と解釈されてきました。つまり、主の福音はユダヤにとどまらず、すべての人に開かれていることのしるしとして、この派遣がなされているのです。主は私たちを、現代の町や村、学校、職場、家庭に遣わしておられます。神の国の福音は、今もあらゆる場所に向けて広がっていくよう、主ご自身が導いておられるのです。
④ しかしその道は、決してやさしいものではありません。主は「わたしはあなたがたを、狼の群れに子羊を送るようにして遣わす」と言われました。これは厳しい現実の警告です。外からの敵意や困難(狼)、内なる弱さや怯え(子羊)を、主はご存じなのです。弟子たちは、自分の力や善意でこの務めを果たすのではありません。主が遣わし、主が共にいてくださるからこそ、その使命を担えるのです。それゆえ、主は「財布も袋も履物も持つな」と言われました。頼るべきものは、神の備えと導きにあるからです。
⑤ そして、弟子たちは旅路を終えて主のもとに帰ってきました。彼らは喜びに満ちて報告します。「主よ、あなたの名を使うと、悪霊さえ服従しました」と。しかし、主はその興奮に冷静に応じられます――「悪霊が従うことを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」と。これは、結果主義に陥るなという主の戒めです。伝道に成功したから価値があるのではなく、一人の魂が回復し、その魂が前向きな心持となったことに価値がある。それが喜びの根拠であると、主は言われたのです。
⑥
この主日、主はあらためて私たちに言われます。「行きなさい。わたしがあなたを遣わす」と。皆さんが誰かに向ける、たとえ小さな一言でも、祈りでも、助けの手でも、それは主の働きの一部です。それが「神の国は近づいた」という言葉に結び付きます。たとえ小さな働きでも、それを通して神の国は進むのです。主の平和が、あなたの歩みと共にありますように。