2026年5月5日火曜日

4/28 マツダスタジアム 4/29ジャガイモとサクランボ 5/2柳井の花壇

 4/28(火) NPO法人「一粒の麦」の研修旅行で、マツダスタジアムに行きました。

 普段は見られないスタジアムの細部まで見学を行いました。

 そのことを通して、運営にお一人おひとりの働きがあることを覚えました。

 4/29(祝・水) 徳山の畑に植えたジャガイモが開花。

 この花も愛でたそうです。

 4/29(祝・水) 裏手のさくらんぼ。収穫中。

 脚立を使いこなしている子どもたち。

 5/2(土)柳井礼拝所。玄関左側の花壇が、「一粒の麦」職員によって改修されました。

 利用者さん方もお働き下さいました。感謝です。


今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。お待ちしていますね。


5/6 水曜日 16時 六日市チャペル 家庭礼拝 

5/9 土曜日 15時 柳井チャペル 礼拝 

5/10 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル 礼拝

       15時30分 防府チャペル 礼拝

5/13 水曜日 16時 六日市チャペル 礼拝 

5/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝  

5/17 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝 

       15時30分 防府チャペル礼拝 

5/3(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。 


復活節5主日 説教 

ヨハネ福音書141-14節 「振り返ればそこに」

水原一郎

「振り返れば、いつも神の、主イエスの助けがあった」。そう思わされる瞬間が、これまでの人生の中に、確かにあったのではないでしょうか。とりわけ、自分では乗り越えられないと思った場面を、どうにかくぐり抜けてきたときです。しかし聖書は、その「助け」が偶然ではないと語ります。主イエスの十字架への歩みの中で、神はすでに、「あなたを見捨てない」という御心を示されたのです。ヨハネ福音書には、そんな経験を思い起こさせる言葉が繰り返し登場します。それは「今は分からないが、後で分かるようになる」(13:7)。そして実際に弟子たちは、復活の後にそれを思い出し、理解していきました(2:2212:16)。」一方で、渦中にあった弟子たちには、神の御業は見えづらい。今日の聖書でいえば、混乱と動揺の渦中には、トマスとフィリポがいました。


 そこに至るまでに、今日の福音書に至る道を整理したいと思います。ヨハネ福音書13章の終わりには、大きな出来事が重なります。ユダが退出し、裏切りに向かいます。ペトロには、「あなたはわたしを知らないと言う」と予告されます。弟子たちは、どんなに動揺したでしょうか。しかし、注目は、主イエスご自身もまた「心が騒ぐ」経験をされることです。1321節。だから「心を騒がせるな」という主イエスの言葉は、冷たい命令ではありません。主イエスは、ご自身も騒ぐ心を抱えながら、弟子たちに語られます。それは「感情を持つな」ということではありません。「どれほど、心騒ぐときも、あなたは見捨てられない」という約束を、主イエスご自身の経験の中で証しされたのです。


 そこに登場するのが、トマスとフィリポです。彼らは、主イエスの言葉を文字通りに受け止めました。トマスは言います。「主よ、どこに行かれるのか分かりません。どうして、その道が分かるでしょうか?」フィリポは願います。「主よ、私たちに御父を見せて下さい」。彼らの問いは、誤解を含んでいました。けれど、主イエスは怒りません。トマスには、こう語られました。「わたしが道であり、真理であり、命である」。主イエスご自身が、父なる神へと至る唯一の道であるという宣言です。その道は、十字架を通って開かれました。フィリポには、「信じなさい」と「わたしの業によって信じなさい」と。これは、過去を振り返るようにという招きでもあります。今まで主イエスと共に過ごした日々。その出来事を思い起こしなさい。それがあなたを信仰へと導くと言われたのです。


 「今は分からないが、後になって分かる」。この言葉は、ヨハネ福音書全体を貫く、神のご計画への信頼の言葉です。トマスもフィリポも、これから困難な道を通ります。主イエスの十字架。自分たちの逃亡と裏切り。深い自責と、恥。そして更なる疑い(トマス)。けれど神のなさることは、その後にこそ、明らかになるのです。渦中にあるときには見えなくても、振り返って初めて気づく神の御手があります。しかし私たちは、ただ経験を振り返るだけで支えられているのではありません。主イエスが十字架において成し遂げられたその出来事こそが、「神は共におられる」という確かな根拠なのです。


 聖書は、感情を押し殺すことを求めません。トマスもフィリポも、誤解し、戸惑い、混乱しました。けれど、そのままの彼らに、主イエスは語りかけられたのです。「心を騒がせるな」。「信じなさい」。あのとき見えなかったけれど、そこに主がおられた。そして今もまた、十字架の主が、私たちの歩みの中に共におられる。振り返ればそこに、ではなく、振り返る前から、すでにそこにおられる主を信じて、今日も歩み始めたいと願います。