2018年3月11日日曜日

3/10.11 海と礼拝、たくさんの献花

3/10 益田小浜の海です。この後、礼拝が守られ、その後益田市内に移動し
 礼拝を行いました。夜は六日市で礼拝。星がきれいでした。
 3/11 徳山礼拝の献花です。
 玄関ホール
  受付の花
  礼拝堂 会員が庭で育成している花が捧げられました。
礼拝堂 白い椿です。

 四旬節第4主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。
1 初ばいさんを迎える教会の幼子のために、O姉が証しをしてくれました。
  讃美歌461「主われを愛す」を歌い、イエスさまが12弟子のために、
  最初の聖餐式を行って下さったことが語られました。
2 今週、召天日を迎えられる姉妹のために、祈りがなされました。
  その方のご母堂も集われました。
 3 礼拝後、教会員が実行委員長を務める「光市 なぎさ復活コンサート」に出かけてきました。

今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。


3/13 火曜日 聖書の学び 15時より

3/17  13時 益田市小浜礼拝
    14時 益田教会礼拝
    19時 六日市礼拝
3/18 10時45分 徳山礼拝
   13時  折り紙教室

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。



【ヨハネ福音書3章1321節】

 聖書は私たちに、いつでも答えを指し示します。今日の聖書は「議員ニコデモ」との一連の対話の中にあります。議員ニコデモは老いたる人でした。ユダヤ教宗教者(議員)として、宗教政策の決定や祭祀に携わっていました。この時点の主は、ユダヤ教宗教者にとって煙たい存在でした。主のもとを訪ねたニコデモの意図が、本人のみなのか周囲の総意を受けてなのかは定かではありません。しかし彼は「夜」に主のもとを訪ねます。後ろめたい心があったのです。

 何の後ろめたさか。同僚の宗教者集団は、神殿再建の負担金集めのため、強引に振舞っていたのです。同僚の無体な姿に恥じ入り、人目を忍んで主のもとを訪ねたのでしょう。対する主の言葉は、実はニコデモへの愛に溢れたものです。14節「荒野の蛇」の古事の意味は、「傷ついた者への癒し」です。古事と主の高挙が「ように」という言葉でつながっています。主は「モーセは青銅の蛇を高挙することで人を癒したが、私は自身が高く挙げられることで人々を癒す」と言われます。その対象は全ての人です。ニコデモも、他の人々なのです。

 聖書の後半部の「裁き」には、目を開かせられます。信じない者は裁かれる。この時点での主のお言葉です。しかし主は、信じない者のために十字架に上がられました。信じない宗教者と共に在り続け、向き合い、その思惑を知りつつも十字架に上がられたのです。主はどこにいるのか。主は、悩み、苦しんでいる全ての人と共に居られるのです。戦後、浦上天主堂のマリア像は「被爆マリア」と呼ばれました。大震災後「主は津波で流され、被爆した人々と共にある」と考えられています。主は、困難な人と共にあり、癒しを給うのです。

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