2023年11月21日火曜日

11/18.19 それぞれの礼拝堂

 

 11/19(日)の、防府の礼拝堂です。

 長かった緑の典礼色の時期も、来週でしばらくお休みとなります。

 11/18(土)の、柳井の礼拝堂です。

 こちらも、来週はクリスマスの入口、アドベントの準備が行われます。

 柳井の聖壇から、会衆席を見ています。

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

マタイ 25:1430 (49)

 説教               「誰かのためのわたし」 

    「天の国(14)」という言葉は、「天国/この世」を意味します。この日の聖書は、「この世」を対象とする話で、「神さまはこの世で私たちをどう見るか」、固く言えば「聖書の人間理解」となります。旅に出る神さまは、人々に「タラントン」を託します。これは、金銭単位です。「生涯年収」の意味で、1タラントンは邦貨では1-2億円でしょうか。その単位の金銭が、それぞれ違った5,2,1という単位で託されたのです。さて、この前提が意味するのは何か。

 

    「タラントン」というギリシャ語が「タレント(才能)」になりました。「才能」を「能力」とするとき、「私の力」となります。しかし聖書はそれを、「託される」ものとします。誰もが「基本の1タラントン」つまり、「私らしさ/私を私とするもの」を「与えられている」のです。5と1とでは、5倍の差がありますが、その基本値は同じです。「比較」は、私たちの常とする所かもしれません。「1」の時「5」は羨ましく思えます。この話も「羨む思い」が原因の出来事が起きます。

 

    5と2タラントンを託された人々は、それらを用いて商売を始めます。しかし1タラントンの人は、お金を用いず、ただ土中に隠します。その理由は、24節以降でこの人によって語られます。この人には主人が、「蒔くことをせず、散らさない」存在だったのです。1タラントンが託されていますが、そこに思いが向かず、主人を「気前が悪い」と見做して、「秘した」のです。「取り上げられる(28)」との結末は、「与えられること」を強調する主の思いでしょう。

 

    「隣の芝生は青く見える」と言いますが、神さまは「私らしさ、あなたらしさ」を唯一無二として備えて下さいます。「私の目に、あなたは尊い(イザヤ434)」のです。それを主は、話の中で「商売をする」「銀行に預ける」と表現します。商売も銀行も、自分と他者との関わりを大切にする働きです。自身では、自身の「尊さ」に気付くことは難しいかもしれませんが、神さまはそれを見て下さっています。「私らしさ」を持つ私を、大切と思われる神を覚えたい。

 




2023年11月16日木曜日

11/11.12 礼拝堂とメッセージ

 聖壇の色から考えると、11/5前後と思われる、徳山チャペルの礼拝堂です。

窓からの色を考えると、早朝かと思われます。

柳井チャペル礼拝堂。聖壇から会衆席を臨む。
防府チャペル記念堂。この一年で、随分ときれいにされました。

教会員のご奉仕です。

今後の予定は、以下の通りとなります。

今後、11月の予定は以下の通りです。

11/18 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/19 日曜日 10時 聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

11/21 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝

11/23 木曜日 西中国地区 信徒大会(るうてる秋の大会)

11/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/26 日曜日 10時 聖書の学び

        10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

11/28 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝 

12/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

12/3 日曜日 10時 聖書の学び

        10時45分 徳山チャペル礼拝      

       15時30分 防府チャペル礼拝 

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

マタイ 25: 113 (49)

 説教             「終わりの先にあるもの」 

    「10人のおとめのたとえ」は、「天の国(1)」を例えたという設定です。聖書が「天の国」という時、対象は二つです。一つは「天国」、一つは「この世」。ここでは「この世」の話です。主の時代には、「終末思想・信仰」がありました。厳しい現状の中、「ご一新」を願う思想ですが、経過である「黙示文学」は「信仰を迫る、心煽る」ものです。しかし主は「ご一新の日(13)」は「婚宴」のような喜ばしい日、そこに向け「日々、為しうることをする」と話します。

 

「ご一新の日」は、「終わりの日」とも呼ばれます。「その日を確定」する動きがあります。自然災害や戦争などの事象を契機と言われた主の言葉から、現実社会を見る動きです。主は契機(マタイ24)を示すも、今日の個所では「誰も知らない(13)」と言われます。「目を覚ましていなさい(13)」とも言われますが、例えでは「花婿の到来」を待ちかね、乙女たちは皆、眠ってしまったのです。危機意識や不安は、人を疲れさせるという主の思いです。

 

  「終わりの日」には「地上の命の終わり」という意味もあります。実感はそれぞれですが、「終わり」は訪れます。「油を用意する」とは、その時に向けて備える(例えば、整理する)と言い換えられます。個々人にしか出来ないものです。「油を分けないおとめ」や「扉を締め切る主人」など、これは「意地悪」と見られる描写もあります。しかし「その日」に向け、「自分にしか出来ないこと」を行う勧めと促しとみます。地に足をつけて生きる、ということです。

 

  「終末思想」については、キリスト教内でも様々な理解があります。聖書や主による、多様な表現から来るものです。なぜ主が「終末思想を含む思想」を語るか。それは、一人ひとりの「厳しい現状」を見るがためと理解します。だから、煽情的表現を用いず、「婚宴の集い」喜びとし、花婿と結ばれると語ります。私たちも、厳しさを抱えます。その中で主は、一足飛びに「御一新」ではなく、「私たちが、今、出来る事」を見つめるように、優しく促すのです



 

2023年11月2日木曜日

10/28.29 宗教改革主日

 

 10/29 防府の納骨堂です。

 次週に向けて、周辺の環境整備が行われています。

 10/28 柳井の礼拝堂です。

 こちらは宗教改革主日の礼拝でした。

 礼拝説教は、以下の通りです。

 マタイ 22:3440 (44)

 説教               「限界を越えて」 

宗教改革者マルチン・ルターの功績は、「主イエスを身近にした」ことです。時の教会は、サン・ピエトロ大聖堂の補修のため、金を必要とし、ドイツでは「免罪符」が販売、ある修道僧は「神はあなたの祖先に罰を下した。その罰の期間はこの札を購入することで短くなる」と説きました。「赦し」が「金銭」で取引されていたのです。ルターの宗教改革は、商行為の禁止でなく、赦しへの「神様/主イエスの復権」でした。それは今日の福音にも重なります。

 

ファリサイ派が主に、律法の重要事項を尋ねます。主は「神を愛し、隣人を愛せよ」という「神の意思」と答えます。一般的に「愛」とは、自発、自然発生的な心であり、命令されるものではありません。「律法の重要事項」として「十戒の要約」を挙げたのは模範回答ですが、「愛の命令」の実行は、折々の状況です。ただ、引用元の申命記6章、30章を見ていく時に、「命令」という要素は無くなります。主は「愛の命令」を行ったのではない、ということです。

 

申命記30章は、「モアブ契約」、「出エジプト」当初とは様子が異なります。旅の目的地近くのモアブで、神はモーセを通し「心を尽くし、魂を尽くし…神を愛することが出来るようにして下さる(306)」と告げます。「愛しなさい」という命令ではなく、神さまの助力による愛の達成をモーセは聞き、告げるのです。主はその古事を踏まえ、「神と隣人を愛せよ」と一方的に告げるのでなく、「神を愛することができるようにする」生き方をなさいました。

 

「モアブでの神の言葉」は、「愛から遠い人の心」を知るための変化です。そして「神を愛する」ための助けは、「恐れの神」ではなく、「愛と癒しの神」を具現化させた主の働きそのものでした。ルターも「神の罰」に若年時はおののいていましたが、やがて、主イエスの言行に神の愛を見出し、「金築の神」でなく、「愛の神」を伝えたのです。私たちは「主イエスの愛」を見出せるでしょうか。私たちがそのために用いられることにも気づきたいのです。