2024年3月12日火曜日

3/9.10 久しぶりに揃った柳井、徳山、防府

 

 3/12(火)の徳山チャペルの礼拝堂です。

 奥行きがある教会です。

 3/10(日)防府チャペルの礼拝堂。

 いつもの撮影位置からの写真です。

こちらは3/9(土)柳井チャペルの礼拝堂。

献花も四旬節カラーとなっています。

3月の予定は以下の通りです。

3/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/17 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

3/19  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/26  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/30 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/31 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ3:1417 (167)

 説教                 「やがて朝になる」 

    ヨハネ福音書3章16節は、主イエスが「神さまの愛」を告げた箇所です。この箇所には、徹底した受容があります。「滅びない」「裁かない」「与える」と、主は神の意思を述べます。「福音の福音」「小さな聖書」「金のみ言葉」という表現もあります。主の目前にはニコデモがいました。「滅び」「裁き」に関わる議員職にある彼に、主は何を届けたのでしょうか。

 

    唐突な「モーセが荒野で蛇を挙げた(14)」は、「管理職」モーセの悲嘆が聞こえる箇所です。原典は民数記21章。20章でモーセは、姉ミリアムと弟アロンを看取ります。ユダヤの人々はその状況でも変わらず文句を言い、神のマナを「惨めな食物」とします。かつて「はちみつクッキー(出エ16:31)」「クリーム(民11:8)」と呼んだ味の食べ物なのに…。

 

    神は即座に「炎の蛇」を下します。モーセは「自業自得」と喜んだか。否、複雑な心境と察しますが、神に執り成し、「青銅の蛇」を掲げて人々を癒します。主はモーセが蛇を掲げた神の業と、「人の子も挙げられる」と併記します。意図は目前のニコデモに神の愛と癒しを示すためでした。ニコデモは、直前の主の「宮清め」の始末を委ねられたと見做せます。

 

ニコデモは神殿が、神の名による集金場所と化す現状への悩みを持っていたと思えます。だから「夜」主の元を訪ねます。宗教が「滅び、裁き」を発してよいのかという問いです。そのニコデモに主は「神の愛」を語りました。出発点を示されたニコデモは、同僚に報告し、その後も聖書に登場します。「神の支え」の中で、勇気をもって、日々の働きに勤しみたい。






2024年3月1日金曜日

2/24.25 六日市と防府

 

長らく、六日市チャペルの礼拝の場所として用いていた書店が、
昨年12月末で閉店となりました。ありがとうございました。
書店は閉店されても、礼拝の場所としては用いられ続けます。
引き続いて、よろしくお願いいたします。

2/25(日)防府チャペルです。

今週は他に、2/29(木)に神戸教会を訪問しました。
坂の上の教会で、息が切れそうになりました。

3月の予定は以下の通りです。

3/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 ※家庭礼拝となります。

       19時 日本福音ルーテル教会 按手式 於:東京

3/5  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/9 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/10 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/12  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/17 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ マルコ 8:3134 (77)

 説教                 「一緒に歩こう」 

    使徒言行録前半には、弟子ペトロの姿が書かれています。ペトロは主イエスの召天後、教会の中心となりました。ペトロ活躍の時代と、福音書の資料収集の時代は同時期でした。自身の姿を改めて述べる機会も、余人が語る自己像を修正することも出来たと思います。しかしペトロは、主に導かれ、赦された者として、自身の姿を赤裸々に語ったのです。

 

    直前でペトロは主を「メシア」と呼びます。「良い政治家」を、ローマ皇帝の直轄地で期待していたことになります。「意気を示した」と言えます。ところが今日、ペトロは主の受難宣言(31-32)を諫めます(33)。ペトロにとって「良い政治家」が敵対勢力を作り、殺されるのはあり得ないのです。認識のずれから主はペトロを「サタン」「退け」と言われます。

 

    日本語では強烈な言葉です。しかし「サタン」とは神の家来で、「退け」とは「後ろに回れ」です。主の自己理解の原型はイザヤ40章「苦難の僕」でした。困難の渦中で、神を共に仰ぐ信仰が語られます。「サタン」「退け」という厳しい言葉から「破門」を想像しますが実は、「理解を新たにして従う」という勧めです。後年、ペトロはこれを証言したのです。

 

    34節以降の主の厳しさに、ペトロは何を思ったでしょうか。マルコは、主が十字架を担う場面にこの箇所を解釈させると考えます。15章21節で、兵士たちは主の十字架を他者、キレネ人シモンに担がせます。鞭の直後ですので、担えないと判断したのでしょう。担えない物を他者が担う、私たちには主ではないでしょうか。ペトロの、今に至る指針なのです。




2024年2月12日月曜日

2/8.10.11 西宮と徳山、防府、こたつみかん

 

次週の礼拝から、四旬節に入ります。伝統的な「荒野の誘惑」が聖書箇所です。

徳山礼拝堂の説教題。会員の方が記されました。

防府の礼拝。変容主日の礼拝でした。

入院加療中の会員を覚えました。

「こたつみかん さいこう」

まさにそのとおり。

2/8 大阪での会議に先立ち、西宮教会を訪問しました。

教会の予定は以下の通りです。

2/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/20  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

2/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/27  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 家庭礼拝の予定です。

説教の要旨は以下の通りです。

■ マルコ 9: 2 9 (78)

 説教              「尊い姿ではなく」 

     「暗い、暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを付けましょう」カトリック教会のラジオ「心の灯」のテーマです。この日「主の変容」を覚える主日です。福音書は、編集者により独自に編集されたため、内容や組み立てには差がありますが、「主の変容」は直前からの流れも含め、共通です。主の自己理解が示された箇所を、今日は聞きたいと思います。

 

     ペトロは主の働きと人気を、当初から体感していました。もともと「格下」地域の出身だったペトロには、自然と「救い主」を待望する信仰が育ったと思われます。この場合の「救い主」とは、良い政治を敷く政治家です。その主が直前で、権力者との対立および死と復活を語ります。「晴天の霹靂」から6日後に、主は改めて「同伴者メシア」を示します。

 

     ペトロを含む3人は、登山します。そこにモーセとエリヤが現れます。「律法と預言者」という、旧約の膨大な範囲を象徴する人物です。恣意的な引用になりますが、「神の愛と同行(出エ37 苦しみを知る/列上1712 困難に近づく)」を示します。ペトロは「偉大な姿に留まる」ことを願いますが、「これに聞け」という言葉と共に、主が残されます。

 

     主は「偉大な姿」に留まらず、「苦しみや困難に同伴する二人」を示したのち、「山を下り」ます。この時のペトロには、主は受容されませんでした。しかし後年、挫折と復帰後のペトロはこの神秘的な経験が「暗い所で輝く灯(1ペト119)」としての契機と言います。置かれている状況の中で、託されている主からの輝きを用いていきたいと思います。





2024年2月6日火曜日

2/3.4 礼拝堂と総会

 

 2/4(日)防府チャペルの礼拝堂です。聖餐式が行われ、総会報告書が

 感謝のうちに配布されました。

 2/3(土)柳井チャペルの礼拝堂です。こちらも同様、聖餐式と総会が行われました。

 2/4(日)は徳山チャペルでも聖餐式と総会が行われました。

教会の予定は以下の通りです。

2/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/11 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/13  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

2/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/20  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

2/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

説教の要旨は以下の通りです。

マルコ1:2934 (62)

 説教                   「孤独に近づく」 

    主は「カファルナウム」の「ペトロの姑(30)」の熱病を癒されました。700年前から「暗闇/死の影の地(イザヤ8)」と呼ばれた「ガリラヤ地方」でのことでした。時は安息日、二度目の癒しです。「ガリラヤ」で「安息日」に「熱病」を治す。これは、当時の「常識」である「聖書」の記載を超えているものでした。記されている主の思いを聞きましょう。

 

    「安息日」についてです。まだ公然と非難されませんが、主は「安息日」二度目の癒しを行います。典拠はあいまいです(出エ35/申5)。主は、規定の曖昧さを示します。一方で「熱病」は「神罰」とされていました(レビ26)。人々(30)は、姑の「高熱(ルカ4:38)」を案じつつも、「宗教的禁忌」に近づいていくことを恐れ、手をこまねいていたのです。

 

    一方でこの姑が、「病むことへの自責」を抱くことは想像できます。病の辛さに加え、「汚れた霊」「神の罰」を受けているという悲嘆です。当時病は、それ自体の厳しさに加え、「神の掟に背いたという罰(レビ26)」の重荷を副次的に課せられたのです。何か昨今と似ています。主は「カファルナウム」で、その境遇にいる女性に「手を伸ばす(31)」のです。

 

    主の時代以前からの「隔離」は、生活空間を分け、衛生を目的としていました。荒野(の40年)を踏破するためでした。り患者はヨブのように、「神の試練」として困難を孤高に(助けを信じて)乗り越えるのでした。しかし主は、「困難」にご自身を踏み込ませるのです。姑の手を取った主イエスの手は、この週日も、私たちと共にあるのです。覚えましょう。

 




2024年2月1日木曜日

1/27.28 防府の梅

 

 防府の梅。今年も咲きました。
 柳井の屋根。ちょっとサビが目立ち始めました。どうにかせねば。
 徳山の鐘。朝8時になります。

教会の予定は以下の通りです。

2/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/4 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/6  火曜日 六日市チャペル礼拝 週報を用いた家庭礼拝です。

2/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/11 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/13  火曜日 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝です 

2/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

説教の要旨は以下の通りです。

マルコ1:2128(62)

 説教                 「ここが居場所」 

    マルコ福音書の「ナザレのイエス」に関する記述は、当然ですが、宗教色が強いものです。それは例えば、「(「北風と太陽」)の太陽」という意図です。今日、二度登場する「権威(22.27)」の言葉で明らかにされます。「権威」と「権力」は、似て非なるものと言えます。権威は自発性、権力は強制性を伴います。主は「会堂長(543)」の会堂で示します。

 

    「会堂」は、町村の一施設です。出身地でもない町の会堂で「教える(21)」ことから、主の教え方や内容は、一目置かれていたと見做せます。その比較対象は律法学者(22)でした。主の教えには「権威」があったのです。厳密には、主ご自身ではなく、その背後の神さまを感じさせる教え方でした。その「権威」は本来、律法学者が持つべきものでした。

 

    法律とは、秩序の維持を通し、個々の生活を支えるのが本質と思います。所が律法学者は、罰則を強化し、人々を区分し、格差を拡大しました。会堂にはこの時「汚れた霊の人(24)」がいました。この人こそ、律法学者の「権力」の被害者でした。「病」により「家族/実家と区分され、罰を課せられ、孤独」とさせられたのです。主は「関わ(24)」ります。

 

    聖書は「権威」を、本来は律法学者に帰すると理解しました。しかし彼らは「権力」と替えたのです。主も弟子たちも、やがて「権力」に悩まされ(マルコ223)ますが、屈しない主は「神の権威」を伝えました。「北風と太陽」の話を当てはめるなら、律法学者は北風、主イエスは太陽、昔も今も、人々を照らすのです。主の暖かさの中に、私たちもいるのです。




2024年1月23日火曜日

1/20.21 柳井、徳山、防府

 1/20 柳井の礼拝堂です。風が強い日でした。
 1/21 防府の礼拝堂です。外には梅のつぼみ、水仙の若芽が出ていました。
 1/23 徳山の礼拝堂です。この冬一番の寒気とのことです。

教会の予定は以下の通りです。

1/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/28 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

1/30  火曜日 六日市チャペル礼拝 週報を用いた家庭礼拝です。

2/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/4 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/6  火曜日 六日市チャペル礼拝 

2/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/11 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

説教の要旨は以下の通りです。

マルコ1:1420(61)

 説教              「近づく神と共に」 

    今年、私たちはマルコ福音書を読みます。4福音書の中で最初に記されたこの書物は、「主イエスを語る」ことを心掛けています。曰く、主イエスは「神の子(1)」で、「ガリラヤに行(14)」き、「神の国が近づいた(14)」と語るというのです。やがて主は「気が変になる(421)」と表現されることになりますが、これらの行動は、「常識」を超えていたのです。

 

    冒頭で、捕らえられた(14)洗礼者ヨハネは、「罪の赦し」を授ける人でした。当時は「罪」の告知が社会からの追放を意味し、復帰には金品が要り、そこには権益が発生していました。ヨハネは無償で行いましたが、種々の理由で逮捕されます。それを見た主は、ヨハネの活動した南部から異動します。「ガリラヤ(14)」を拠点とする必要を思ったのです。

 

遡る700年、ヨシヤ王の一世代前、この地はアッシリアに蹂躙されました。主の時代は「北部ガリラヤ」「中部サマリア」は被差別の土地となっていました。たとえ話の「良きサマリア人」のたとえが示す通り、南部と北・中部とは没交渉だったのです。そこに主は行き、「神の近づき」を告げるのです。地域には久しく語られなかった「福音」が届いた瞬間です。

 

その声は、ガリラヤ湖周辺の漁師たちに向かいます。地域性自体は南部から蔑視されていましたが、漁の働きは必要なものでした。人々の身体を満たす働きをしていた彼らに、主は弟子となるよう促します。彼らにとっては、自分たちが神のために働き得るという、望外の喜びがあったでしょう。この主の歩みの先に、私たちがおります。覚えて過ごしたい。


 

2024年1月18日木曜日

1/13.14 礼拝堂(柳井、防府)

 

 1月の防府チャペルの礼拝堂です。

 また、更新が開いていました。

 柳井チャペルの礼拝堂。献花が生き生きと。
 これは、なんでしょうか。場所は柳井です。もうクリスマスは終わったのに。

教会の予定は以下の通りです。

1/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

1/23  火曜日 六日市チャペル礼拝 週報を用いた家庭礼拝です。

       教会員宅には送付します。お入り用の方はお申し出ください。

1/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/28 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

1/30  火曜日 六日市チャペル礼拝 週報を用いた家庭礼拝です。

       教会員宅には送付します。お入り用の方はお申し出ください。

2/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/4 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

説教の要旨は以下の通りです。

ヨハネ1:4351 (165)


 説教              「いちじくの木の下で」 

    「果物」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。柳井礼拝所の敷地には、「いちじく」があります。枝葉が整備され、時期には甘く香ります。聖書でいちじくは、果物の中で登場はぶどうと並びます。出エジプトの民が飢えを訴える際に、一番に懐かしむ(民205)ものでした。マカバイにも瞑想の場所として登場します。この日に、祈りの場として登場します。

 

    ヨハネ福音書では、最初の伝道者フィリポがナタナエルに、主を紹介しました。ところが彼は当初、懐疑的でした(46)。ナザレという地域が、「北」に位置していたからでした。しかし一方で彼の、いちじくの木の下での「瞑想(48)」は、主に知られていました。言い換えれば、「祈る姿が、主によって知られていた」ことです。自他の平安を求めていたのです。

 

    主は彼を「真のイスラエル人」と表現します。旧約のヤコブ(創25)は欲張りで、兄から財産継承権を奪いました(創27)。兄エサウの怒りを買い、故郷を追われ、自身の罪をつまされます。そんなある時、神と格闘(創32)、神から「イスラエル」と命名されます。「本質のまま(46)」「神と向かい合う(48)」姿が「イスラエル」と命名される由来の古事です。

 

    ナタナエルは主に「もっと偉大なこと(50)」「神の天使の昇降(51)」を見るといわれます。主イエスご自身の理解では、自身が天の神と、地の人々との仲介を、天使に続き行うとのことです。それがナタナエルに知らされます。「祈り」に限界を覚えるほどの昨今です。それはナタナエルも同様と察します。祈りの姿が知られていることを支えに、励みたい。