2023年5月30日火曜日

5/23.27.28 益田 徳山

 

5/28(日)徳山チャペルの礼拝堂、記念室前です。

手前には、益田教会の教籍簿、十字架、洗礼盤、聖餐式の用具。

そして懐かしい方のお写真があります。

5/28の防府チャペルの礼拝堂です。会員の癒しが祈られました。
5/27(土)徳山チャペル会員の方が、花壇をきれいにして下さいました。
5/23(火)益田チャペルの礼拝堂です。

徳山に移設する、教籍簿、十字架、洗礼盤、聖餐式の用具が置かれています。

5/23(火)益田チャペルの礼拝堂です。ブロックガラスの十字架は、

防府の記念堂にも同じ形が継承されているのです。

5/30 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝

5/31 水曜日 13時半 益田出張

6/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

6/4 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

       15時30分 防府チャペル礼拝 

6/6  火曜日 六日市チャペル礼拝 

6/10  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

6/11  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

  今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

 

使徒言行録 2: 1643-45(214)

 説教                   「初夏の喜び」 

主イエスの「使徒」は、「ベタニア(ルカ2451)」からその歩みが始まりました。昇天された主イエスを後に、使徒たちはエルサレムに戻り、何と神殿で神賛美をします。主イエスの関係者として、存在も行為も、咎められる恐れはあったと思います。その恐れより「神賛美、神との関りを公に示すこと、証し」が第一だったのです。それから40日、主の復活から50日後。「神との関り」に生きる使徒たちに、「他者との関わり」の機会が与えられました。

 

  時は「過越祭」後の「五旬祭」でした。当初は「十戒授与記念日」で、「麦の収穫感謝」の要素が加えられた祭りでした。既に使徒たちは120(119)の集団でした。ここまでは、基本的には「内輪、内向き」でした。それが聖霊降臨で、「外向き」に変えられます。使徒たちは、祭りで賑わう大路に出て、「神の偉大な業(11)」十戒/麦の収穫を与えた神を、それぞれの国/地域の言葉で伝えたのです。活動は、いわゆる「宣教」だけで終わりません。

 

243以下に記されている「分かち合う生き方」「共有の社会」が生まれたのです。このような社会制度は、確かに使徒たちの時代には斬新だったかもしれませんが、肯定的に受け止められ、弟子の集団は増えて行ったのです。選ばれるに至った理由には、時代の求めがあります。「十戒」「収穫感謝」の原点とは神賛美、隣人と配慮しあう生き方でした。聖書の、忘れられていた原点が再確認できたので、弟子の群れが成長していったのです。

 

「分かち合う生き方」は、ベタニア発祥でした。ベタニアに「住む」人々は、誰もが「受け入れられた」人々。病や職業などの事情のため、他では受容されなかった人々が、この村では自分らしく生きることが出来たのです。主は、ご自分の生涯の歩みの結びに弟子たちをベタニアに招き、弟子たちはその要素を吸収できたのです。「分かち合う生き方」は、私たちにとってどのように適用できるでしょうか。聖霊の力の中で、互いを覚えて生きたい。

 


 

 

 

2023年5月21日日曜日

5/10.13.18.20.21 六日市、柳井、防府、西宮、徳山

 

 兼任している西宮教会(兵庫県)。

 5/7-8豪雨で、雨が吹き込み、床が濡れることが起きました。


 松林。香櫨園からこの道を通って教会に着きました。
 こちらは、5/14の防府。カーネーション一輪。
 こちらは、5/13の柳井。

 「立てばシャクヤク」の芍薬だったかと思いますが。5/9の六日市。

 更新が空きました。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

5/23 火曜日 13時 益田チャペル「土地建物 感謝礼拝」」

       19時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝

5/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

5/28 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

       15時30分 防府チャペル礼拝 

5/30  火曜日 六日市チャペル礼拝 

6/3  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

6/4  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

  今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。 

 ルカ 24:4453(161)

他の福音書は、主が「エルサレムでガリラヤ」に言及し、巻末を迎えます。その「伝承や口伝」と異なり、ルカ福音書は「ベタニア」を重んじます。復活の主が向かい、祝福し、昇天した場所とします。なぜか。しかも主はそこで昇天しますが、それは同時に使徒たちの活動がベタニアから始まったことを意味します。教会の歩み、連なる私たちの歩みがそこに示唆されているのです。ルカはなぜ、ベタニアを「ターミナル(終着点、中継点)」としたのか。

 

まず、主の「ターミナル(終着点)」ベタニアは、ヨハネ福音ではラザロの村。他福音では「重い皮膚病(マタ、マル)」の方々の「住む」村、申命記143の規定では、この病は「宿営の外」で見られる病。その方々が「住む」村と言えます。復活の主は、40日後(使徒言行録)にベタニアで「祝福と昇天」をします。ルカの語る誕生の知らせ(羊飼い)と昇天場所(ベタニア村)の類似性を見られます。主は「労苦や不当な虐げを受けた人々」の友なのです。

 

弟子たちの「ターミナル(中継点)」ベタニアは、主の「都に留まれ(49)」との言葉と、40日のみ言葉の教えに満たされ赴いた場所でした。客観的には弟子たちは「お尋ね者」でした。協力者は恐らく「女性たち(マグダラのマリアたち)」でしょうが、滞在中や道中の、通報と捕縛のリスクはあります。隠遁生活の果て、主は彼ら11人を「白昼」ベタニアまで「連れて行く」。なぜベタニアか、という問いは弟子たちの中に生まれ、解かれたと思います。

 

ルカ福音書では、主の誕生の際には「泊まる場所が無かった」ものでした。しかし主は、長じて「居場所を不当に奪われている人」のために生き、また歩まれました。そして昇天の際、主はベタニア村にて、弟子たちと住人たちに「神の祝福」を告げたのです。神さまは、人を罰するためではなく、人を愛し、支えるために存在する。それを主は弟子たちに託するのです。使命は、私たちにも重なります。この使命を誰かに、何かに向けていきましょう。