2018年7月8日日曜日

7/7.7/8 益田と徳山、トロッケンゲビンデと献花

  7/7(土)益田小浜礼拝後に頂きました。
召天された益田の教会員がドイツの民芸品「トロッケンゲビンデ」をなさっていました。
そのための木の実や造花細工が遺品として残されていました。
今、益田の教会員が遺品をこのような作品に作ってくれました。
8月の「平和礼拝」のプレゼント、一足早く頂きました。

 7/8(日)全国を豪雨ニュースが駆け抜ける中、徳山では礼拝が行われました。
雨の静まることを覚えつつ、被災されている方、不自由な生活を
強いられている方々のことが覚えられました。
 7/8(日)徳山献花その2
その3 野の花、野の草も教会にとって大切なものです。

聖霊降臨後第7主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。

1 本日の礼拝には、A姉から欠席の連絡を頂きました。礼拝前に電話を取りずらかったため、他にも電話を為さった方がおられるかもしれません。
  「RSウィルス」にかかった幼子からの休み連絡がありました。
  それぞれの方々のために祈りがなされました

2 上にも記載しましたが、西日本を中心とし、東海にも被害が及んでいる大雨のことが
 礼拝後にも覚えられました。
 ことに六日市から来られている方は、通常の道路が寸断され、交通規制のために使用できず、高速道路で来られたことを聞きました。
 また、教会員のお知り合いの医院は、川の氾濫で医療機器、病床に被害が及んだということも聞きました。
 水防ダムにお勤めの教会員は、この四日間、非常事態に備えてほぼ事務所に詰めておられたとも聞きました。

今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。

7/10 火曜日 11時 牧師 柳井出張
       15時 聖書の学び
7/14 土曜日 13時 益田市小浜礼拝 
        14時 益田教会礼拝
        19時 六日市礼拝
7/15  日曜日   10時45分 徳山礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。


【マルコ320-30節】
 今日の聖書には、二つの(ブラック含む)ユーモアがあります。一つは律法学者によるブラックユーモア、「ベルゼブル」という言葉に現れます。当時、他国の宗教に「バアル・ゼブブ(偉大な神さま)」がいました。でもユダヤの宗教者は、語感が似ているという理由で他国の神を「ベルゼブル(蠅の王)」と呼び変えたのです。更に、生物的「よごれ」に好んで寄り付く蠅を、宗教的「汚れ」とされた人々に関わる主に当てはめたのです。他国の宗教と神、及び主を、言葉遊びでおとしめること。ブラックユーモアなのです。

 主は彼らの言葉遊びに当初は触れつつも、突如27節で「強盗のやり方」の指南を始めます。これが主のユーモアです。前後の脈絡を無視した言葉、かつ突如の話に、人々は仰天し、注視したでしょう。「この方は何を言い出すのか」と。これが主のねらいでした。続けて「人が犯す罪は赦されるが、聖霊を冒涜するものは赦されない」と。聖霊とは神さまからの関わり、導きを表す言葉です。他国の神をコケにしつつ、主の働きを「汚れに寄り付く」と見做し、働きの対象者を「蠅」と見做す律法学者への憤りです。

 主は、ご自身の働きを、神さまからの力(聖霊)によると考えていました。その神さまは、愛をもって臨まれるお方です。一方でそのような主のご意思は、お身内にも解されませんでした。「気が変になっている」という評価を気にして、主のお身内は主を拘束しにきたのです。ただ「気が変になっている」の原語は「外側に立つ」というもの。言うならば主は「アウトサイダー」と呼ばれることを恐れず、そのお働きを続けられたのです。

 私たちは、人生の歩みの中でどこを歩いているか。これは私たち自身が思うことです。順調に歩めていれば、それに越したことはないでしょう。しかし「道を外した」「迷っている」「悩んでいる」。かつて主はそのような人々と共にあったと聖書は語り掛けます。そして今、聖書のみ言葉を聞く私たちとも共にあります。「地域社会の中のキリスト者」「思いもかけない出来事におののく人」と共にも、主があることをこの週日、刻みたい。