2019年6月4日火曜日

6/1.2.5 礼拝と献花とD60

  6/2 徳山C礼拝堂です。
 前々から欠席をお知らせくださっていた方、
 前日や当日、お知らせ下さった方など多く居られた主日でした。
 献花は、「教会の草木」。もうすぐ聖壇も緑に変わります。
6/1 柳井C礼拝堂です。 
 こちらの礼拝堂は金曜日に清掃が行われます。

6/2 午後の防府礼拝も 行われました。6/4には六日市礼拝も行われます。
 写真は山口県立博物館のD60.東海道本線や山陰本線で活躍したとのことです。
 登記事務のため、山口に出張した際にパチリと撮りました。

今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

6/4 火曜日 15時 徳山聖研

6/5 水曜日 19時 六日市C礼拝

6/8 土曜日 15時 柳井C礼拝

6/9 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


ルカ2444-53
語る言葉を無くす出来事が次々に起こる世の中。しかしそれは何もテレビの世界だけでなく、私たちの身近、知り合いの中でも起こると思います。当事者とされた時には「なぜ、どうして」との問いが絶える事はない状況かと思います。当事者でない時にも、見聞したその出来事に唖然としつつも「なぜ、どうして」と問うのでしょう。「主の復活」についても当事者とされた人たちには、当初は語る言葉を見出すことが出来ないものでした。

今日の日課は、ルカ福音書の「主の復活」から繋がる一連の脈絡の中にあります。墓に主の体が不在であることを「驚いた」ペトロ、エマオ村への途上を行く「暗い顔」であった二人の弟子たちから始まる物語は、復活の主が弟子たちへ何度も関わることが強調されます。44節からは、預言書に従って(イザヤ書、ホセア書)ご自身が復活なさることが告げられ、「悔い改め=方向転換」もまた同様に告げられます。「使徒言行録」1章を見ると、主への弟子たちへの関わりは「40日に渡って(使徒13)」為されたとあります。

「悔い改め」それは、「自分」から「神さま」への方向転換とも言い換え得るでしょう。それがこの40日間、主から弟子たちに為された。悔い改めとは、人間の行いではなく主の導きによって為される。そして50節。主は弟子たちを伴い「悲しむ者の村(ベタニア)」に行かれ、弟子たちを「祝福」する。古典信条に記載の「再臨」まで、主はみ言葉と聖霊をもってこの世の弟子たちを力づける。すると弟子たちはエルサレムに帰り「神賛美(53)」を為すのです。

「祝福」と「神賛美」は同じ言葉です。「祝福を受けた人は神さまを賛美する」信仰者の「理想」が記載されています。現実は「語る言葉を無くす」「独白(モノローグ)」が多い週かもしれません。ならば、せめて「独白から対話へ」との決意は出来ないか。発せられた自らの思い、言葉にならないうめきを、聖霊の助けの中で「神との対話」すなわち祈りへと昇華できないものか。その祈りは、自分や他者、見知らぬ方々を覚えるものとして。