2020年8月23日日曜日

8/22.23 礼拝

在りし日の徳山C礼拝堂、献花です。


 こちらは柳井。今は大型マンションが建っている所からの撮影です。

 礼拝後12時ほどから、周南市では雨が降り出しました。

雨も少しならばよいのですが・・・。

今週、来週の礼拝は下記の通りです。

8/26 水曜日 19時 六日市C礼拝
 
8/29 土曜日 15時 柳井C礼拝 

8/30 日曜日 10時45分 徳山C礼拝 
       15時半  防府C礼拝
   
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
 

 「小さな信仰を基として」  マタイによる福音書 16:1320 (31)

昔の運動会の競技に「棒倒し」がありました。小柄の方々が土台を、大柄な方々が外側を、素早い人は外周りに付いて固める。体つきの大小を長所として、それを用いる指導が為された演目でした。本日と来週、聖書は「ペトロ」の生き方を語ります。彼の名前は「大岩、巌(いわお)」と理解されることもあります。でも、ヘブライ語の「ケファ」は「小石・軽石」。そのペトロが教会の礎とされ、キリスト教の初期の伝道を担う。前半生を聞きたい。

 

「フィリポ・カイサリア」は「皇帝フィリポの土地」という意で、避暑地としてローマ皇帝に献上されたユダヤの土地。主はそこで自身の噂を求めます(13)。集まって来た答えは、いずれもユダヤの昔の「預言者」たちでした。この地はローマ支配を嫌っていたのです。彼らの答えからその求める傾向を知り得ます。一概に言えませんが、エリヤは強さ、エレミヤは優しさ、ヨハネは神の接近。町の人々は、神さまのそのようなお言葉を求めていたのです。

 

これらの求めを聞いた主は、ペトロにも水を向けます。答えたペトロの「メシアです」とは、回答としては申し分ない。これこそ「強さ、優しさ」を携えていた旧約の名君、ダビデをほうふつとさせる、聖書的伝統に立つ言葉です(失敗もありましたが…)。しかし主は、これらを言い得たのはペトロの独りの力でなく、神さまであると告げます(17)。神さまのお力と、ペトロの力量を区別されます。それは、続くペトロの呼称にも表れます。つまり、主の意図は、ペトロは「ヨナの子(バルヨナ)」であり、「小石や軽石」の如きものであることです。

 

教会の発展にはペトロの働きが不可欠でした。その前提に立ちつつも、ペトロは岩ではなく石。それも他の人々と共に、キリスト教の土台を支えた石、主と私たちとをつないだのです。「天の国の鍵」は、ペトロ、弟子たち、私たちにも授けられ (19)たのです。この世の尺度では、小さなことは低評価。しかし主は、ご自分の弟子の一人「シモン」を「ペトロ(小石)」と呼び、土台作りには「小」もまた必要であることを告げるのです。私たちは、主と誰かを「つなぐ」働きへと用いられることも思いつつ、「小さな者」として日々を過ごしたい。