2025年11月18日火曜日

11/15 柳井礼拝所、11/18 徳山のブナ、ヤマボウシの紅葉

 

11/15 柳井礼拝所です。この日は子ども祝福礼拝が行われました。

余りにもきれいな青空。

11/18 徳山礼拝所の正面左側。

ヤマボウシの紅葉。

11/18 正面右側から礼拝堂入口。

ブナの木とそのふもとの菊。秋も深まっています。

11/18 8:45現在、今の気温は9度。


今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

11/19 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/23 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝 

11/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/29 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

11/30 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝 

11/16(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。 

聖霊降臨後第23主日 説教 

ルカ福音書215-19節 「神さまが見守る毎日」

水原一郎

 教会の暦は11月、「終わり」を意識する季節となりました。「終わり」と聞くと、死や世界の終わりを思い起こし、不安や恐れを感じることもあるでしょう。実際に、この社会では、数年前の戦争に始まった、そしてそれ以前には類を見なかった「自分の国や地域」を優先する動きが広がっています。他者を尊重しない態度がどこへ行くのか、先が見えないだけに心配になります。しかし、教会で語られる「終わり」とは、破滅や滅亡の予告ではありません。神さまの愛が全てを包むことが明らかになる時です。

 

 今日の福音書では、弟子たちがエルサレムの壮麗な神殿に目を奪われている場面から始まります。46年(ヨハネ2章)かけて建てられた神殿は、弟子たちにとっても「宗教的な誇り」と、「自分たちの親、祖父祖母」の捧げた力の象徴でした。しかし主イエスは「この神殿が崩れ去る日が来る」と告げられます(21:6)。弟子たちは驚き、「それはいつ起こるのですか?どんなしるしがありますか?」(21:7)と尋ねます。主イエスは具体的な日時を示すのではなく、惑わされずに、恐れずに、忍耐をもって「証し」を続ける大切さを教えられます。主イエスが言われたこの「証し」とは、弟子たちにとって、また私たちにとって何を、どういうことを意味するのでしょうか。

 

 言葉通り、文字通りのことで言えば「教えに殉ずる」という極端なことになります。「殉ずる、つまり殉教する」。いのちを預ける、生活を捧げる。これは現実的ではありません。むしろ、心を乱す、それは「戦争、暴動、地震、疫病」などの中で「惑わない」「落ち着いて生きる」ことを意味すると見ます。これらのことは、時代を問わず存在します。主イエスはそれらを「終わりそのもの」として恐れる必要はないと語られます。むしろ、聖書が問うのは「どう生きるか」という姿勢です。そのことを踏まえて、更に主イエスは告げられます。「あなたがたは私の名のために引き渡されることになる」(21:12)。これは弟子たちにとっては「迫害や投獄、誤解や中傷」を意味します。私たちにとっては、「惑わされる様々な出来事」と言い換えられます。心を乱し、惑わす現実に直面する弟子たちに、そして私たちに主は恐れではなく、希望を示そうとしているのです。

 

 「あなたがたの髪の毛の一本も決して失われることはない」(21:18)。これは、体のもっとも小さな部分であっても、神さまの守りが及ぶという保証です。ルカ12:7では「髪の毛一本でも数えられている」神さまの守りの中にあるとしています。拠り所を失い、孤独や裏切り、災害に悩まされる時でも、神さまは見捨てず、共にいてくださいます。拠り所として大きく映るのは、「神殿」です。しかし主イエスは、その神殿が覚える神さまこそが日々を守ると言われます。その神さまを信頼し、自分の近くにいる人々を尊重し、日々を生きることが大切です。私たちの人生にも、崩れゆくものや不安があります。しかし、どんな「終わり」が見えても、神の愛は決して終わりません。その愛に包まれ、私たちは一日一日を、主イエスの導きの中で生きるものであるのです。

 

⑥ ルカ福音書は、「神殿が崩壊」した後に編集されたものと言われています。「戦争後」という言葉が当てはまります。神殿を含む大切な構造物は崩れ、愛するものを無くした人々の嘆きは続き、その中で日々の営みに生きる人々が福音書を書いたルカの前にいました。ルカは、かつて主が言われた「髪の毛一本でも神の眼差しにある」という教えを思い起こし、書いたのです。それが今日、私たちにも届いています。