2025年12月23日火曜日

12/24予告、12/17六日市クリスマス、12/20柳井クリスマス、12/23徳山の朝

本年の クリスマスの行事は以下のとおりとなります。

 12/24(水)19:30  徳山チャペル クリスマス・イブ礼拝

 それぞれ、どうぞご予定に入れて頂ければ幸いです。


 こちらは12/17(水)六日市チャペルのクリスマス礼拝直前。

 公民館で礼拝を行っています。よく考えれば、公共の施設で宗教行事。

 使わせていただけるご厚意に感謝です。

 こちらは12/20(土)柳井チャペルのクリスマス礼拝直前。

 献金箱(黒い箱)の手前には、教会員による祝会のお持ち帰りお菓子。

 こちらも感謝です。

 徳山チャペル、防府チャペルのクリスマスもそれぞれ、

 教会員によるご奉仕に感謝するひと時でした。

 クリスマスが先で、クリスマス・イブが後。いよいよ明日です!

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

12/24 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝です。

12/24 水曜日 19時30分 徳山チャペル クリスマス・イブ礼拝 

12/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

12/28 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝

12/31 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 週報による家庭礼拝となります。

           集う形の礼拝は、1/7(水)を予定しています。

1/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝  

1/4 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝 

       15時30分 防府チャペル礼拝 

12/21(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。 

待降節第4主日(クリスマス主日) 説教 

マタイ福音書118-25節 「愛の決断が、クリスマスへ」

水原一郎

 今日、4本目のろうそくに火がともりました。アドベントの最後のろうそく、それは「愛」を表しています。けれどこの「愛」は、温かくて優しいだけの愛ではありません。時に、痛みを引き受ける愛、決断を迫る愛です。今日の聖書には、その愛を生きた一人の人ヨセフの姿が描かれています。クリスマスの物語は、彼の苦悩の中から始まります。


 マタイ福音書は、イエスに「インマヌエル(神が共にいる)」との名を与えます。これは、イザヤ書からの引用です。イザヤの時代、国が滅びようとする中で、神は「一人の男の子が生まれる」と告げられました。その名はインマヌエル「神が共にいる」という約束の象徴です。マタイはその古い預言を、イエスの誕生に重ねました。長い沈黙と不安の中で、神は再び語られる。しかも、力や栄光のかたちではなく、赤ん坊として――人と共におられる方として。けれども、その名前を聞く前のヨセフは、心が揺れていました。


 なぜか。主イエスが生まれる10か月前、ヨセフはその「神が共におられる」という約束を問い、問い続けていたのです。婚約者マリアが、身ごもっていたのです。それも自分の子ではなかったのです。律法に従えば、マリアは不貞の女として裁かれ、石打ちにされることもあり得ました。「神が共にある」そのことは、人生の歩みの中で受け入れられない時が来るのです。ヨセフがその代表です。ヨセフは「正しい人」でした。だからこそ苦しみました。律法を守る正しさは公に縁を切ることです。それはすなわち、マリアの死を意味します。ヨセフは静かに思いめぐらします。彼が選んだのは、「密かに縁を切る」こと――マリアを守るために、自分が傷を負う道でした。「理由を示さずの離縁」は禁じられていました。あえてその道を選ぶことで、ヨセフは非難を自身に集めることを決断したのです。その「愛の決断が、クリスマス」を生むことになったのです。


 その夜、ヨセフの夢に御使いが現れます。「ダビデの子ヨセフよ。恐れずマリアを妻として迎えなさい」。その言葉が、ヨセフ自身にどのように働いたのか、思いまでは書かれていません。けれど、その選択の中にこそ、「インマヌエル」の約束が実現していたのです。ヨセフが決断した場所はナザレでした。ルカ福音書が語ることによれば、その場所から神は、ヨセフとマリアをベツレヘムまで導きました。ナザレの会堂や人々の眼差しから神は、二人を逃れさせたのです。神は、ヨセフの苦悩を遠くから眺めていたのではありません。ヨセフが恥を引き受け、恐れの中で愛を選んだその場所に、「共に」おられました。インマヌエルそれは神の独り言ではなく、現実の中に働く愛の力です。神が共におられるとは、全てが順調に進むという意味ではありません。むしろ、理解できない現実のただ中で、「なお愛そう」とする者に寄り添う力です。神は、私たちが苦しむ時、黙ってその傍に立たれる方です。ヨセフの沈黙の中に、その神の沈黙がありました。


 今年のクリスマス、私たちもまた、ヨセフのように生きたいと思います。すべてを理解できなくても、恐れの中でも、愛を選ぶ者でありたいのです。家庭の中で、職場で、教会で、誰かのために痛みを引き受ける時そこに「神が共におられる」。それがインマヌエルの約束です。そして、約束と共に神さまは、決断に伴う良い道を備えて下さいます。クリスマスの光は、遠い夜空に輝く星ではありません。私たちが「愛することをやめない」と決断する、その心の中に灯ります。その光があなたと共にありますように。