2026年1月13日火曜日

1/7六日市、1/10柳井、1/11防府、1/12県境、1/13徳山

 

1/12(月)寒波と言われている日の朝、山口県と島根県の県境です。

こちらは「youtube」の「アイ・キャン 錦町県境 ライブ配信」。

アイ・キャン 錦町県境 ライブ配信  1/14(水)はどうなるでしょうか。

1/13(火)徳山は朝から冷たい雨が降っています。

しかし天気予報はこの日は11時過ぎから晴れ。

どうなるでしょうか。

1/11(日)防府礼拝所。

ポインセチアはまだ元気。

1/10(土)柳井礼拝所

献花は菜の花でした。

1/7(水)今年初めての六日市での「集う形」での礼拝でした。

天候は穏やかな一日でした。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

1/14 水曜日 16時 六日市チャペル礼拝 

1/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝 

1/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時30分 防府チャペル礼拝

1/21 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

1/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝  

1/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び 

       10時45分 徳山チャペル礼拝 

       15時30分 防府チャペル礼拝 

1/11(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。 

主の洗礼日 説教 

マタイ福音書3章13節-17節 「先にある赦し」

水原一郎

 今日は、主イエスが洗礼者ヨハネによって洗礼を受けられる場面です。この聖書箇所は、毎年の1月第2週に与えられています。ですから毎年私たちは、年の初めに「なぜ主が洗礼を受けられたのか」という問いを向けられるのです。その問いを解くために、主が洗礼を受けることで「何が変わったのか」「今までとの違いは何か」という見方から、この聖書の出来事の意味を改めて受けとめたいと思います。


 まず、変えられた出来事です。それは「赦しの順番」でした。主イエスの時代、「赦し」には順番があると考えられていました。まず律法を守ること。しかし人は弱く、過ちは起こります。そこで神殿に行き、いけにえを捧げ、赦しを得るのです。「赦しを得るための行いが先で、赦しは後のこと」という順番です。この常識に風穴を開けたのが、荒野の預言者ヨハネでした。「悔い改めて洗礼を受けよ。そうすれば赦される」。ヨハネが飛び越えたのは、神殿での祭儀でした。しかし順番は崩しませんでした。「悔い改めを行う。そして赦しが与えられる」。つまり「人間の側の動き」が先だったのです。


 そこへ主イエスが現れます。そして「私にも洗礼を授けてほしい」と言われます。ヨハネは驚きます。「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきだ」(14節)。ヨハネの言葉の根っこには、自らの罪を告白するという行い、そして罪への赦しとしての洗礼があります。ヨハネは自分の罪を具体的には語りません。ただ、主イエスの「洗礼の申し出」に対し、当時の宗教観に裏打ちされた「人間の行いを先に示し、赦しを頂く」という順番を示すのです。この点を見れば、洗礼者ヨハネも「時代の中に生きる人間」でした。

 しかし主イエスは言われます。「今は、止めないでほしい。正しいことを全て行うのは、我々に相応しいことです」と。ここで見えてくるのは、主イエスが「罪の告白」や、「人間の側の心の整理」を、赦しの前提条件としては置かれなかったということです。神さまは、赦しを先に差し出してくださるお方であるとしたのです。主イエスはそのことについて「正しい」という、大切な表現を用います。かつて主イエスの父ヨセフが、律法に背く形となっても妻マリアや幼子を守る決断を「正しい」としたことが思い起こされます。神さまは、罪ではなく、神さまを見つめて生きることを望まれるのです。


 主イエスが洗礼を受けた瞬間、天が開かれ、声が響きました。「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」。この宣言は、当時当たり前とされていた「赦しの順番」とは異なる道を歩み始めた主イエスに対する、神さまの深い肯定の言葉と受け取ることができるでしょう。赦しの真理が、この天の声によってはっきりと示されたのです。


 主イエスは、その生き方を通して、この神さまの愛の順番を示し続けられました。「山上の説教」の直後、主は人々が近づく前に重い病の人に触れられました。九章では、蔑まれていた徴税人を、悔い改めの証しを待たず、先に名を呼んで招かれました。私たちは今も、「正しくならなければ」「きちんと悔い改めてからでなければ」と思いがちです。しかし福音書が語るのは、その逆です。主は、整ってから名を呼ばれるのではなく、名を呼ばれることによって、新しい歩みを始めるお方です。もし一週間の中で失敗したとしても、人を傷つけてしまったとしても、自分を責める夜があったとしても、その前に、神さまはすでにあなたの名を呼んでおられます。神さまと主イエスの導きと聖霊の満たしに身を委ね、安心して新しいこの一週間の日々を歩み出しましょう。