朝から突風の徳山でした。
庭にあるルターのバナーが揺れている朝でした。
今は風がだいぶ収まっていますが、月、火と山陽は雪の予報です。
本日も礼拝が行われ、礼拝では先週ご召天になった教会員のお父上を覚えた
祈りがなされました。
礼拝後、徳山では、いりこ出汁の具だくさんの味噌汁、おにぎりが振舞われました。
来週も礼拝は、以下の日程で行われます。
2/21(日)
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
2/18(木)には、
益田にて14:00~
六日市19:30~です。
本日の説教要旨です。
【ルカ福音書4章1-13節】
聖書全体で「悪魔」は二通りの書かれ方がなされています。一つは神さまの敵、もう一つは神さまの家来です。「神の敵」としては、黙示録に記載されています。この世の害悪を司り、神さまを外側から攻撃します。「神の家来」としては、代表は「ヨブ記」。神の配下としてヨブを試みます。神さまを内部から困惑させます。私たちに当てはめれば明快です。悪の思いや誘惑は、私たちの外からか、内から出てくるのか。分からないものです。
今日の聖書「荒野の誘惑」では、悪魔は「神さまの家来」として主を誘惑します。なぜなら悪魔は「この世の権力と繁栄を授与」されたといいます。なぜ神さまは悪魔にそれらを委ねたと聖書は記すのか。福音書を書いた記者は、現状から原因を考えたのです。当時のユダヤは苛政と統治者の不品行が甚だしいものでした。悪魔の所業としか思えない出来事が連続していました。神さまがこの悪魔に権力の所有権を委ねていたと考えたのです。
悪魔はその権力を主に条件付きで委ねるといいます。「私を拝むなら」つまり悪魔の家来になる条件です。悪魔の巧妙さがここに強調されています。だが主は誘惑を退けます。また悪魔は繁栄の授与も提言します。受ければ閉塞した人は無くなり、思い煩うことも無くなる。だが主はその誘惑をも退けます。他の2つの誘惑や悪魔すら主は退けます。主が誘惑を除けるのは当然のことと思いますが、なぜ主は誘惑を退けたのでしょうか。