昔の人は1月、2月、3月を春と考えていたようです。
春は近いと思わされるような陽気の日曜日でした。
徳山では礼拝が行われ、礼拝後には肉みそおにぎりと豚汁の愛さんでした。
献花もだんだんと春の花が混ざっているように思えます。
花の名前は知らないのですが。
今週、来週とも、礼拝は以下の日程で行われます。
どなたでもご自由にお越しいただけます。
3/6(日)
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
3/3(木)には、
益田カトリック教会にて世界祈祷日、益田地区礼拝14:00~
六日市19:30~です。
本日の説教要旨です。
【ルカ福音書13章1-9節】
災いとは私たちの生活を変えるものです。聖書には二つの事件が記載されていました。冒頭のピラト事件とはどういう出来事だったか。神殿参りの人々、世間的に見れば「善男善女」が突如乱入した兵士に殺害されてしまったのです。生贄の血に彼らの血が加えられた事件でした。主は、その人たちが死なねばならなかった理由というものを問いかけます。
なぜ「突然死」を遂げたのか。「寿命」や「老衰」ではなく召された場合、私たちも、人がなぜ死なねばならぬかを問います。テロや災害の被害者を思います。突然の死に、この死の意味は何かと問うことがあります。主の時代の一般的な理解は、「突然死」は「罪」いわゆる因果応報が原因とされました。だが主はその理解を「決して違う」と断言する。「悔い改め」を求めます。方向転換です。事件を通して神は何を語るかを注目します。
シロアム事件も然りです。何が起きたか。領主ピラトはローマ風の設備を領内に建設しました。ところが建設途上でローマ様式の水道の塔が倒壊し18人が死亡しました。やはり主は「罪の故」との理解を拒否します。先祖累代の井戸を改修した罰とか、改修工事への加担の罰とかの声は上がったのでしょう。主は「方向転換」事件そのものでなく、事件を通し神を見よと勧めます。しかし神は答えを即座に下さらない。理由不明の中で生きるのは酷です。