こちらは本日の献花でした。
雨という陽気もあいまって、教会が暗く見えます。
バイパス沿いの教会の宿命か、壁の汚れが目立ちます。
教会は明日から改修工事となります。
本日も礼拝は行われ、礼拝後には改修工事のための室内清掃をいたしました。
礼拝後の愛さんは牛丼でした。
来週も礼拝は以下の日程で行われます。
3/13(日)
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
3/10(木)には、
益田14:00~
六日市19:30~です。
本日の説教要旨です。
【ルカ福音書15章11-32節】
旧約聖書のレビ記は法令集です。その25章には土地取引規定があります。土地売却の際には買い戻しが前提となるのです。当人が余りの困窮の末売っても、親族が買い戻す必要があるのです。ここに放蕩息子の話があります。弟息子が財産の生前贈与を願い、土地財産を売却してしまいます。土地も含めた全てを金銭に替え、全財産を使ってしまいます。
故郷にいる父と兄息子こそいい面の皮でしょう。聖書の規定上、弟息子が手放した土地は父や兄息子が直ぐ買い戻す必要があるのです。来る日も労働、ある日も収穫。疲れて家に帰ると家から宴会の音が聞こえます。何かと思うと弟息子の帰還を覚えて祝会が開かれています。家に入ろうとしない兄息子を招く父です。この父に神の愛が体現されているといいます。いかに不義理を働こうが、神さまはその人を顧みられます。感謝な話です。
この話は神の愛を語るたとえ話です。一部の聞く人は、これほど不思議な話はないと聞いたでしょう。生前贈与を願い、家族の迷惑を顧みず土地を売り払い、身を持ち崩した子どもを諸手を挙げて迎え、豪勢に装い、一家の主が祝いの席を中座する点です。でも聞き手は清廉潔白な人だけではありませんでした。「徴税人や罪びと」彼らは生きるために法令違反をする他なかったのです。神さまはどのような者でもみ手に収めると語られます。